39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

やはり、笑った者勝ちですね。

病院行ってきましたが、

基本的には別の薬が足されるわけではなく、現在の薬が増薬されるだけとなりました。

実はちょっとガッカリしてます。

しかし、端から私の様子を見れば、

違う薬を足すよりも、

若干量、今服用続行している薬を足した方が無難ではあると思います。

違う薬を馴染ませるのも時間が掛かりますからね。

 

分かるんだけど、精神のしんどさって中々簡単には取り除かれないから、

「早くどうにかしたい」気持ちが焦り、

革新的な薬対処の変化を期待して居たんでしょうね、私も(泣)

それでもよくよく考えれば、大体が増薬希望ではないのだから、

ここで新薬追加されても、やはり私は気持ちが楽ではなかったと思います。

増えても足しても結局楽でも楽しくも嬉しくもない。

どちらに転がっても同じだったでしょう。

増薬ぶんは自分で見積り着けて良いみたいなので(一応、私は危うい状況とは見なされなかったみたい。

自分で量を選べるのだから。

勿論そんな恐ろしい量は処方されませんけども。(笑))つまりは、

処方され増えた薬を頓服化して増減を自分で加減していい。

と、言う判断が下った事になります。

自殺に使おうとする人間(危うい)と判断されなかっただけ幸いです。(恐らくこの量では全て※在庫含め、飲んでも致死量にはならないのでしょう。)

 

とは言え、どこでどう増やして使い分けますかね。

で、久々TSUTAYAに行きました。

更新です。

ついでに3ヶ月ぶり?くらいにDVD借りました。

なかなか年末からこちらコロナもあり暇なしでした。※TSUTAYAに向かう時間が。

なんか3ヶ月も借りないと、観たいもの増えてるなあ!

棚を観てるだけで楽しかった(笑)

準新とか無茶苦茶観たいの増えてた!

来月また借りられるかなあ!

 

だけどねえ、

3ヶ月も来店して無かった間に、

ブックレンタルが無くなってるわ、セルフレジ導入がちょっと面倒だわになってました。

いや、セルフレジ自体は前からありましたが、そうではなく。

郵便返却したいので、普通のレジに向かったら

「セルフレジで出来ますよ(凄い疲れてる顔で)」と、

言われたから精算までしたけど、袋置いて無いじゃん、袋はどこだよ。って感じになり、

結局もう一度レジに向かい「郵便返却の袋は何処に在るんですか?」と、尋ねたら

「ああ袋は....(相変わらず疲れてる顔で)」と、ごそごそしてましたが、「なら、レシートを」

はい、レシート

「あと、レンタルしたモノを」

はい、レンタルしたモノ

その後もにょもにょ先輩店員と話していた(どう見ても新人だと分かってました)後に、

レンタル料金が一定以上だったからと、郵便返却代金が直接返されたりしたわけですが。

あれ?

なんかやっぱり最初から普通にレジでやって貰っていた方が早いやつか。(笑)

新人だから、多分おおよそはセルフレジに向かわせてくれと言われていたのでしょう。

オマケに無茶苦茶疲れてる顔(多忙さで。なんか色々持ってたし)だったし、

自分も、こんな顔をしてないだろうかと思いました。

疲れてるか聞かれたことはなくても、ムスッとしてないかなあ、と。

結局、この店員さんは、

最後に荷物を受け渡しする際に

「お時間掛かりまして申し訳ありませんでした。」と、

笑顔が出たので

「いいえ、こちらこそ、ありがとうございます。」と

返せたのですが(笑)

いい笑顔持ってるんだから最初からそうなら良かったけど、

ゆとりがない時が有るもんなあ。と、

店を後にしたけれど。

どうせ疲れてる、忙しいなら

「疲れてます〰️忙しいんです〰️」みたいな顔をするよりは、

「疲れてるけど、忙しいけど、仕事だから」と、割り切って、

笑顔でいた方が多分、自分も助かると思うんだよね。

 

と、

帰宅してからパートナーに話したら、

パートナーは常にそれを心がけていると言うので

私「この、偉い子め。」と、

誉めておきましたが(笑)

 

偉い子と言うと、TSUTAYAで本を見ていたら、本が落ちる音が聞こえ、

次いで、小さな子どもが「落としちゃった」と言う声が聞こえ、

特に何も見てなかった私は「本が凹んだりしてなきゃ良いが」くらいに思いながら現場を見ると、

母親が、子ども(4歳くらいか)が落とした本(たくさん)を並べ直していた。

背丈からして子どもがぶつかったかしたのだろう(棚の角だったから)。

すると「落として、ごめんなさい」と子どもが言う。

「落として、ごめんなさい」と、また言う。

「落として、ごめんなさい」と三回言ったのを聞いていた母親が

「もう落とさないで」

と言うのが目に入り、

思わず子どもの頭を撫でる私が居た。

「ごめんなさいって言えたの、偉いね」と。

勿論その後ご夫婦に(パパママ居た)「勝手に撫でてしまってすみません」と詫びた上でそこを後にしたが、

「ごめんなさい」と謝れる子が、

許されるまで「ごめんなさい」を言い続けるのは胸が締め付けられた。

人の教育方針は様々だから手を出すのは良くないかも知れないけど、

ただ、本屋の中でのちょっとの事です。

失敗したことに対して、ごめんなさいを言える君は偉いよ。と、

誉めたくなったんですよ。

まあ、それでも現代子育てには余計なことでしょうけどね。(苦)

 

まあ、でも場所柄は考えなきゃだね。

 

 

えーと、本日借りましたのは、

死霊のはらわたライジング」

「グアイウ~地下鉄の怪物~」

「テスター~ファースト.キル」

アウシュヴィッツのチャンピオン」

「依存魔」

まあ、今回も暗くグロく

癖がありそうなスプラッタとか、アウシュヴィッツとか選んだなと、

自分でも思いますが、

こんな心境や、些かも関係ないスプラッタが観たい所でしょうかね(笑)

アクションはまた、次の機会で良いかなと。

今はダラダラ観たいんですよ。(笑)

 

感想などありましたら、また追記致します。

↑インセンス皿が欲しくて雑貨屋に行きましたが、ありません(泣)

しかし、mofusandのレモンなポーチとメモ帳可愛い!

実は昨年配信レモンの壁紙が好きで未だに使ってます!

 

 

 

DVD、

さあ、どれから観ようかな!

 

 

 

 

 

 

 

報告成立で生まれた。

そんな御大層な内容ではありません。

昨夜の「口を滑らせあだ名がバレた騒動」を、

昨夜の内にパートナーに話したかったのですが、

パートナーは推し活ゲームのイベント中で、結局寝ました(笑)

パートナーは時々ゲームにハマり、推しキャラクターイベントが発生してる時は、私は余り連絡しません。

私も何かにハマってる時には対応が雑になりやすいので、

そういう時は

予めお互いホウレンソウをしています。

↑だから鮨を大量テイクアウトしたとかでは有りませんが(笑)

しかし、鮨はパワーですねえ。しばらくは食べずにすむでしょうか。(笑)

体重は結構毎日プラスしてマイナスしてのマイナス傾向ですが、

何故か母親がそんな時に限って鮨とかピザとか食べたがるんですよね

○| ̄|_

私の綿密な体重維持計画が悉く潰されるんですが。

あと、体重増減に伴い、貧相な胸が若干実りつつあります!凄いな!

でも太るときは胸から実るからなあ。

喜んでいるだけじゃダメなんだよね、

そのうち腰や腹回りになるからね、脂肪は。

でも、Aカップなら罪もないでしょう。(笑)

なにせ、Fまであった胸が減るのを一番嘆いたのはパートナーでしたから(笑)

(マジで何でだよ(笑)

「私の胸が!!」とか言ってましたから。

少なくとも私の乳は貴女の物ではないよ(笑))

いや、私とパートナーはいずれ夫婦でありパートナーですが、

断じて、物ではないから

「貴女の物」とか「私の物」扱いはお互いせんのですよ。

その方が親しみとか愛がある表現になる方もいる一方で、

 

人を束縛系で所有扱いをしない事が、相手を大切にしてる証だと思う人も居ると言うだけです。

 

妻を奥さん、家内、うちの、等を呼ぶことを嫌う女性が居るのと変わらないです。

 

まあ、パートナーの体重管理だけは私が絶対やるけど。(笑)

(パートナーの毎年の健康診断の、医師による私への評価は毎年高い。

私が離れていても必ず腹筋を毎日促しているのを、パートナーが医師に話しているからだが、(笑)

それはパートナーが私に言われてから、ちゃんと自ら実践しているからだ。)

さて、毎度話が逸れたが(笑)

 

結局翌日(本日)、パートナーに「あだ名がバレた騒動」を話すに至ったが、

 

よくも、1日待たせたものだ。と思った私は、

「●ちゃん、もしかして、ラブラブ?

とか、言われて、

ラブラブですよ(笑)

と、返しましたが、

さて、感想は如何?(笑)」

と、尋ねてみました(笑)

パートナーは、

「私は、貴女から滲み出る程に貴女を幸せに出来てるでしょうか?」と、

言うので

「バカね、貴女が私を選んだ段階でね。」

本当に今更だわ(笑)

私「ほれほれ、照れろ、

ラブラブとか言われてるぞ、

だいたい5月にまた「子どもの日おやつセット」送ろうとしてるんでしょ?私に(笑)

※毎年届く、あとクリスマス。」

パートナー「はい、もう予約してますが(笑)」

既にそう言う所だよ(笑)

私を子どもの様に愛している段階で、

私は貴女とずっと一緒に居たいと願った。

私は失くした過去の幸福の追求をしているのだと賢い貴女は分かっていた筈。

しかし貴女はそれすら全部纏めた上で一生一緒に居よう、家族になろうと言ったのだ。

それは最初は庇護者の意味かと思っていたが、

お互いを支えずっと二人で生きよう、家庭を持とうと言う意味になった。(時が経過して行く毎に、

大切な好意は愛情になり、絆が深くなる。

私たちは一年や五年でどうにかなった訳ではない。喧嘩したり話し合いしたり旅行したりして

幸せを築いて積み重ねた)

少なくとも貴女は私にとっては母親でも父親でもない。

愛情と好意を持ち、幸福を分かつ相手だ。

他の人とは比べられず、そして私の命を救った人だ。

(彼女が救急車を、母に求める電話をした。でなければ私は時間差で完全に呼吸は戻らなかった。

だから、私は一度は死んでいるのですよ)

そう言うのを忘れて、「そんなに幸せに出来てるでしょうか?」とか、

言って退けるのよね。本当に侮れないわ(笑)

で、そんな話をしていたら、出てきたんです。

幸福物質。幸せホルモン。

セロトニンか、と。

異様な浮かれたような幸せが頭に満ちて行くのが自覚出来ました。

そうか、私がただ、同僚と話しただけではこの状態にはならなかった。

 

私が、それをパートナーに話し、

パートナーと笑い合うことで、

脳内にセロトニンが生まれた。私一人の自覚だけでは(錯覚の可能性があるから)生まれない。

お互いに認めてはっきりと理解し合った時に、ようやく満たされたのだ。

私一人で大丈夫(自然発生)なことと、

私とパートナーが居て初めて生まれる事(効果)がある。

これは、それか。と思った。

幸福物質が生まれると、

その瞬間はとても良く分かる(日常、自分では作り出すことが余り出来ないからだ)。

短い時間だが(今回は半日くらい)確実にフワフワした楽で柔らかな気持ちになる。

これを、気持ちがいいと言うのだろう。

これを、自然に分泌出来ない(分泌させるのが難しい)のは、やはり多少不自由だとは思う。

しかし、欠けたものは取り戻せず、

薬で補うしか日常を送る道はない。

普通で居たいと言う言葉は、病人の甘えだとか、その類いの記事は見かけるが

 

そう。

病気ゆえの日常の幸不幸や苦労や悲しみ、

苛めやマウントで辛いことに対して

「普通で居たい」と願うのは

「普通ナメるな」と思う人もいるだろう。

 

何故なら健常者にも変わり無く

幸不幸、苦労、悲しみ、苛めやマウントが平等に毎日の様に起きるからだ。

それを「普通良いな」と言われたら、

健常者の不幸不満をまるで分かっていないし、普通なら何でも幸せだと言う色眼鏡で観ていることになる。

結局、

生活保護や障害手帳や診断書があるほうが、健常者にはむしろ「そっちのが幸せそう」なのに、

「普通になりたい」とか、「何抜かしてるんだ」と言う事になるだろう。

 

だから、私も「普通にななりたい」とは言わない。(脳のダメージが無かったなら、と思いはするけど、これも事故に遭った形だろう)

病人も健常者もリスクは形が違うだけで、ストレスや不自由とは結局毎日向かい合っているのだ。

 

だから、こうして脳から生まれたホルモンが、酷く愛おしい。

効果は長くは続かないから尚更だ。

 

それをパートナーと作れたことは

 

ただ、ただ、幸せだと思えた。

 

 

さて、明日は嫌でも病院行かなきゃ。

鬱の対処出来ると良いけど。

 

あとスタバかな。(嬢ちゃんたちに癒されたい)

出来たらインセンスの皿(コーンタイプのインセンスを購入した)を買いたいかな。

 

けど、見つかるかなあ。

(田舎は選べるほど無いんだよね)

 

雑貨屋あるある↓

探し物がなくて

特に必要じゃないもの買って帰る(泣)

 

 

 

 

口を滑らせたらあああああ!(泣)

人は時に、「言い間違い」と言うヤツをやると思う。(笑)

先生に「お母さん」とか言ったとか、

「今日は~(笑)」を「ご苦労様です(仕事仕様に)」とか。(笑)

やった後で言い直しても

どうにもならないアイタタタだ。(泣)

昨日はそれなりに多忙な仕事でした。

 

なんと言っても無理難題な社長連合が今夜もお越しでしたから。

(基本的に社長連合の付き合いの輪の中は、

八割の慇懃無礼、二割の良識人でバランスが取れている。

今回も例に漏れなかった)

 

位や地位が低く、苦い経験を糧にして頑張る人は、人の傷みや弱さにも柔軟に対応してくれる。(助かる)

苦労を体験しているから、苦労をしている人に気を遣えるのだ。

(須く全ての人がそうではないが。)

 

別に社長連合の8割が苦労を体験してないとは、ちっとも思わないが、

 

それを(過去の苦労、今の苦労全て)

目の前の相手に対しても共感してあげられるかだ。

 

自分の身に置き換えて、

相手の気持ちを察することが出来るかは、

 

「出来る」とか「出来ない」とかの

別に「才能」とか「能力」の問題ではないと私は思う。

 

むしろ、そんなものは才能とは言わない。

 

やろうと思えば子供でも出来るからだ。

 

子供が出来る事を大人がやれないのは、

 

単なる意地や性格や頑固さが、

本当に年齢重ねて少しずつ増した分だけ子供の様に素直にも器用にもならないんだろう。(ならないと言うか、

面倒とか、やりたくないと言うか。

どちらにしても、

これは凄く損をしているとは、私は思っている)

 

 

話が逸れたが、(笑)

 

新しいメニューが本格的に広告に載り、いよいよ逃げ場がないので、

こうなると善処しか方法は無いのだが、中々の無茶振りな内容なので、

馴染むまでには時間は掛かりそうですが、三倍時間をかけるつもりです。

 

こんな時に、

従業員同士の話し合いがうまく行っていると助かります。

弱さとか苦手さを事前に話しておけるからです。(私の場合は相貌認識の低さ(失認ではない)、診療内科の話、パニックなど)

だからと言うわけではありませんが、

私は昨夜は初めて、まあ、ちょっとした話の弾みからか

「自分は一度死んだのだ」と言う話を彼らにしました。

(「絶対入院させてらならない病院」の話になったときに、

どうしても、その病院を二人に教えておきたいと思った、

その派生みたいなものだ。)

 

私自身は、

別に誰に自分の自殺について(ある程度の人にまでは)知られようが、

感想など知ったことではない。

興味本意でつついてくる人には少なくとも私は出会っていないので。(職場の二人に知られたからなんだと言うのですか、

この二人が他の誰かに話すかは二人の勝手です。

それをおおごとにしないと、私は信用しています。私に何か被害が及ぶことではないし、何か起きたら対処しますよ。)

だから、今回も、

私は

私の思ったことや体験したことを一方的に話をしたのだけれど、

二人はただ黙って聞いてましたし、

重々しく受け止められた様でした。(原因についてだけは語りませんでした。)

いずれ知られたからと言って仕事の能力ややることに関わりはありません。

私の人となりの一角であり、それが全てではありませんからね。

それにもう8年位は昔の話です。

その間にすら、色々あったんですから、

精々「嫌な体験」「許してはならない病院」くらいの「昔話」にはなりましたよ。

 

むしろ、その病院の近くを通りたくないと言っていたにも関わらず、

わざわざその道を敢えて使う元知人に対して大層腹が立ってましたが(笑)※昨年までの話。元知人は今は他人。

底意地が悪かったんだなと思います。

 

それも、今となってはどうでも良いことです。

 

病院自体は未だに存在し、

恐らくは精神科の体制が変わっているとは思えないし、

さりとてその病院を、私の個人の力ではどうにもしようがない。

 

ならせめて、出来ることは

体験交えて信憑性のある話で以て、

「あの病院だけは絶対に入院してはいけない、させてはいけないと」、

自分の知り合いの被害を未然に防ぐことくらいです。

 

まあ、これも、話の本文からは逸れてます(笑)※違うんかい

 

帰り間際に、

私「じゃあ、うりは.....(帰るね)」と、

言ってしまった(笑)

当然

「うり?」

「うりって何?(笑)」と

言う話になり、(泣)

私「うりは、私のあだ名です。

パートナーとか親友がそう呼びます(泣)」

先輩「●ちゃん、うりって呼ばれてるの?(笑)」

私「(諦めた。)

うりたん。

うりさん。

うりちゃん。ですよ。

猪突猛進の小さいうり坊、抱っこしたら可愛いと言う意味かららしいです。(諦めた。)」

先輩「●ちゃん、もしかして、ラブラブ?!!」

私「ラブラブですよ(笑)」

ラブラブと言う言葉はあまり好きではないのですが、

その方が分かりやすいならそうしときますよ(笑)

※色々諦めたので。

 

先輩「やっぱりね~(笑)」

おや、ばれてましたか(笑)

そりゃ、ばれるでしょうね。

幸福は滲み出るものだもの。

どんなに、口先だけ「私幸せなの、愛されてるの!」と語ろうと、

その人が本当に幸か不幸かは、

人は見てれば観察すれば分かりやすいものなんですよ。

幸せ自慢はマウントと言えなくもないけど、私は自慢してるつもりはない。

極めて毎日普通の事で日常なのだ。

 

日常染み着いたものが香るように、

染み込んだものは人には敏感に気づかせるだけで、

特に私が何をどうこう言う必要はない。

(たまにパートナーから贈られてきた菓子を差し入れたり、毎日指輪を忘れないなどは、ごく普通の事だろう。)

 

やっぱりね~(笑)と

言われたら、

「ふふふふふ(笑)」と

笑うだけですよ。

 

いつか、失うかもとか(死別は別だが)

そんな深い不安の次期は(実は)少し昔に通りすぎて行きました。

 

いつもなら、私なのだから

いつでもそんな不安に囚われるんですが、

 

余りにも、私の不安を何度も何回も何十回も、果ては百回と

叩き潰す百戦錬磨なのがパートナーなので。(ブログに記してきた通りに)

今は、一緒になったらどうしよう、あれしよう、ヤツのあれ改善だ(笑)、とか、

計画が楽しい。

 

いずれにしても、まだ先の事だから、今を大事にするべきだ。

楽しまないのは大損だ。

 

まあ、別に私が明日から職場で

「うりさん。」呼びされるわけではないでしょう。(笑)多分。

 

にしても、

口癖ってヤバイわ。つい。

 

出たんだよ(泣)

「じゃあ、うりは、(帰るね)」と(泣)

ストレートに。

 

 

でもまあ、

スケベ用語とかじゃないなら別にいいか(笑)

※うっかり出る程頻繁に使わんわ(笑)

 

 

ひどい毒舌なのに関わらず、お星さまたくさんありがとうございます。

 

嫌われ、理解されず、嫌悪される

その覚悟でブログは立ち上げました。

 

実際好まれる内容ではないと自覚して記しています。

そして、このスタンスはそう大きくは変わらずに続けて行くと思います。

 

 

どうぞ、お暇なとき、気が向かれたら、

またお越しくださいませ。( ´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

安易な出逢いは慎重さが必要。

先日、マッチングなんかしてない。(詐欺メール)の記事を記したばかりだけど、

実際にやはり事件が起きてしまっていた。

ニュースに愕然とする。

60代の男女がマッチングすると言うなら、大概はどちらもが激しく依存心があるだろうとは予測できた。

国民年金の延長問題、

支払金額が減額される問題、

更に児童手当を手厚くする問題(だから、負担額増額と言う理屈、

しかも年収に応じてだ)高齢者初段階(50台後半から60代半ば)が、

これに対して不安にならない筈がない。

 

誰かに養われ、楽に生きたいに決まっている。

だがそれは、相手も同じだ。

 

女性だけが男性さえ傍に居れば安泰だなんて誰が決めたことだろうか?

いまや、男性こそが女性のヒモになりたい時代なんですよ。(あわよくば。顔も身体も好みなら問題ない。)

女性の方が我慢強く平均寿命が長いから、看取ることまで考えずに済む、とにかく生きてる間は安泰で居たい(自分が)と願う男性は少なくない。

うちの父親ですら全てを放棄する発言をし、

家庭の大黒柱の責任からいち早く逃げ、

家族からも血縁からも目を背け自分の事だけの幸福を選んだ。

結果はお粗末なものだし、結局苦労したのは母親と子供(うち、私と次男のみ)だ。

 

薄情でも、暴力で捩じ伏せる腕も、

隠せば誰とでも出会える。

最初だけが肝心で、データは確実に盛っているし、何なら顔も盛っているだろう。

恐らくはそんなことは、互いにお見通しなのだ。

分かっていて厳選したつもりでいる。

 

自分は間違わないと過信した挙げ句、

少しばかり付き合えば、早速不安の種である金銭の話が出てくる。

都合するしない、

贈り物するしない、

素敵な食事やデザートや花、スイーツは初期の必要経費だ。

要は一生離れない、出来れば家事も出来て経済的に困らない未来を早々獲得したい。

そこには、

互いの気持ちを育もうとする思いはない。

あるのは、承認欲求と困らない将来。

出来れば家事もお金も稼いでくれる奴隷であり、そこに愛情など最初から生まれない。

 

育む期間が人により様様にあるのは、私も理解しているが、

 

ニュースの事件は凄惨な末路だった。

 

誰だって、マッチングで知り合った相手が暴力を突然振るうとは考えない。

まず、そこから危機管理が欠片もない。

何を信用して、マッチングに成功し「もう。これで大丈夫」と言う保証を得られるのか。

少なくともマッチング会社が、それを、保証などはしてくれないだろう。

 

可哀想に、頭に四針も縫うんじゃ、

これからのマッチングに傷が付いたようなものだろうし、諦めてくれるならそれに越したことはないけど(とは言え、相手にお金を借りてる時点で、早く返す段取りや警戒心は持つ必要はあったと思う)

 

暇だとやっちゃうんだろうな。

男女問わず、「お財布探し」と言うものだ。

依存度合いが高いのと、将来が不安で仕方がないのはよく分かる。

 

だからこそ、安易に登録して出会えるやり方には「永続き」を求めたい。

 

何故か肉体だけは早いのは、私には保険に思える。

 

出会ったなら、長く付き合い深い愛情を築いて欲しい。

お金など次のまた次に近いからだ。

 

なのに身体とお金が先行するのは、援助交際の延長版(高齢者形)だろうと思うと

 

 

やはり私にはマッチングは一生無理だと再度ニュースを見ながら確信した。

 

暴力を働くのは男女誰でも許されない。

それなのに安易にそれに手を出す気持ちは、私には一生分からなくて良い。

 

繰り返すが、マッチングに成功した事例が確実にあるから需要がある世界だ。

 

出会いも簡単じゃないし、お先真っ暗な日本の未来を嘆くなら安定した収入の相手がいた方が良いに決まっている。

 

だが、それは依存して良いものではない。

相手が働くなら自らも働く。

高収入な相手と出逢いたいなら、やはり自分も働いていた方が良いに決まっている。

依存された方はたまらないからだ。

 

よほど、綺麗で職歴も美しいなら「顔」の点で選びマッチングする事もあると思うが。

それは、お雛様を作ってるんだよね、私は個人的に嬉しくはない(笑)

 

安いと言うか、軽いんですよ。

 

妥協して誰かを選ぶのも失礼な話だし、

何回会話して食事してデートしたら、それは恋人なんでしょうか。

少なくとも私の中では、それは知り合いの域を出ない。

 

「最初は優しかったのに」と、被害女性が言う。

人は隠すし化けるのだ。

女のメイクや服と何ら変わりがない。

 

優しいのなんか当たり前じゃないですか、

本性や手の内や秘密を話すのに実は何れくらいの時間か掛かると思っていますか?

 

1ヶ月や半年はお試しですよ。

 

私には10年掛かった。

人の三倍時間が掛かるからね(笑)

 

ならば人が三年掛けていたって不思議じゃない。

子供を早くにもうけたいなら別だが、今回の事件の二人は60代。

子供を願えるのは簡単じゃない。

 

似た者同士だったのだろう。

被害者は哀れだが、勉強したと思うしかない。

 

 

 

 

それにしても、少子化と子供に対する厚遇の域が広がりすぎて、間違った連鎖が起きそうだ。

厚遇されれば、かわいい我が子をとにかく手厚く可愛がる方法や選択が増えるだけで(大学行かせるの当たり前とかね)、

特にそれが「もう一人産もう」政策にはなってはいないだろう。

基本的に若者は子供一人からせいぜい二人を溺愛したいのだ。

それ以上は手は回らないし、

苦労するような真似は最初からしない。

危険な橋を絶対渡らないし、子供の幸福と同時に己に対する欲もプラスして計算している。(うちの三男)

 

子供を増やしたいと願うのは、何をさておいても子供が好きな夫婦だ。

計画性とか将来とか、

選択は子供に任せるし、それ次第で頑張る大人なのだ。

自らの「子供は苦労させない」計画が大事なんじゃない。

将来含めての全てを、子供に選ばせる自由を選んだ人達だ。

 

 

苦労なんてしてなんぼだ。

体験しなきゃ感情が湧かないのは最近の子供の特徴だ。

畑で野菜をとる、イチゴを摘む、魚を釣りに行く

多彩な経験は子供の情緒を豊かにするが、根本的な物がない。

全て用意されているものだ。

 

どんなに物がなくても適当な物を使って完成させる、汚い砂場で遊ばせたい。

とは、酵素ご飯カフェのオーナーが言った言葉だが

何を与えなくても創意工夫してほっといても考えるのが頭の柔らかい子供だ。

 

そんな子供になら、幾らでも将来が幸せであって欲しいと願う。

 

少なくとも、スマホタブレットを持たせない、公園には一切行かない(安全遊具が多いのと、ママ友付き合いを必要だと思っていない※親友アールが実はこれだ。)カフェのオーナーのお子さんは、

マッチングアプリは入れないだろうな多分。と思った。

 

20年は先だけど、自然に惹かれた人に出逢う未来しか見えないわ(笑)

 

あー、酵素ご飯食べに行きたくなっちゃった!(笑)

夜の来訪(全く有り難くない)。

昨日は、記したように、

何事も成せないし成す気持ちが余りに有りませんでしたが、

だからって、

大して休めず寝れずの、睡眠半ばの夜間に

 

時間も選ばず前振りもせず、来るのが災害だ。

つまりは地震が起きた。

 

横揺れ、

五秒以上、

鳴るブザー、市内警報。

甘くない地震と言うのだけは理解しましたが、

だからって、すぐは動けない。

まだ、揺れているなら、

今居る状況を確認した上で動かない(左右上に物があるかを確認した。)、

動けば転ぶ可能性があるので。

まず、揺れが収まるのを待て。

動くのはその時だ。

では、今は何をするかって。

止まることを祈りますよ。

ただひたすら「止まれ、止まって欲しい、止まれ!!」、

この繰り返しを、

歯軋りの中に食い縛り、握り拳で座っている身体を鼓舞する。

 

止まったならまず、津波の確認だと、母と合流し、

速報にかじりつく。

 

幸いにも津波の問題はこちらではありませんでした。(震度5)

それでも目はさえて、パートナーに電話したのは

「自分は無事だ、命はある」と

伝えたかったのでしょう。

 

しかし、家には響いたよなあ、間違いなく。

それに、必ず余震があるものだし。

(夜のうちにはありませんでした。)

 

「何故、自分がこんな目に」

と、

天災に嘆く声はたくさん聞いてきたし、

自分も一歩手前まで危なかった天災を経験している。

あの恐怖は、本当に、刻一刻身体を蝕むような物だった。

 

災害も天災も人や場所を選ばない。

勿論老若男女関係なく蹂躙するし、

被災者が嘆いている声を、他人事にして暮らす人が沢山居るのも現実。

 

南海トラフを覚悟しなきゃならない状況下で、今この地震は、遂に来たのかと毎回思わせる。

(小さな地震なら数えきれないくらい起きている、今年に入ってからは特に。)

 

だから、

寝ていたのにとか

こんな時間にとか

この年齢でとか

全く無視して来るんだよね。

「今、来たか」

とは思うし、

「体調が悪いときに」

とも思ったが、

何もかもを等しく奪うのだ。(一度南海トラフが来れば、今回や能登の比でもない)

場所に斑があるのは別でも、

生き残り、死亡せずに救われその差があるとしても、

 

同じ時間に同じ大きさの災害が

ある時一瞬でそこに居る全ての人に起こる。

後は、前々からの覚悟だとか、対処対応、色々あるにしても、

自分は運が良いからとは絶対思わない。

むしろそれなら、私は早くに命を落とす可能性が高い。(母を逃がす方法以外は多分、その時にならないと対処出来ないのがわかっているし、兄は私を助けないと分かっているし、

私は人に助けてと言えないから。)

しかし、火事場のなんとかで、人に助けてと言えるかもしれないかも。

 

何にせよ

 

元、知人の様に

「人間に対して地球が怒っているのよ.....(何か良いこと言った顔)」

とは、思わないな。

 

被災した方々がそんなこと言ったのを聞いたことがありますか?

無いですよ。

(もしや、宗教の話は他所でやって欲しい)

だから、被災しなきゃいけない理由にはならないのよ。

そこで起きた天災で災害で、酷く見ていられなくなる。

 

これを

「地球が怒ったんだから仕方ない」と、言えるか。

言わない。

仕方なくもない。

他人事にしているじゃないか、既に、それは。

 

これを語った、元知人が、優雅と言うか(優雅じゃあ無いな)腹減り顔で

コメダカツサンドをガツガツ食べていたのは鮮明に思い出せる。

 

それくらいは、同意できない事だったからだ。

 

覚悟や備えがあっても、状況や場合に依っては人は即死するのだ。

 

少なくとも、

津波の心配が無いと分かったときに、

「とりあえず、今では無かったみたい」と、

安堵したのは隠さないけれど、

 

安全もまた平等に保証はされない。(保険の話では有りません。)

今が大丈夫だから、次も大丈夫だとは思わない。

 

 

でも、

少しだけ、思う

「死ぬにはまだ早い、

一度もう死んだのだから、簡単にそちらを私は選べないのだ」と。

 

自殺件数が増す一方、私はそれは選ばないともう決めてます。

 

だから、死ぬなら事故か天災か、寿命だ。

 

罹災した皆さんはお体は無事でしょうか。おうちは大丈夫でしょうか。

 

何があっても、

皆が平等に無事で居て欲しい。

そう願います。

 

 

パートナーの実家も地震有りましたが震度は低いようでした。

立地が高台だから、多分義理兄様たちは無事だと思います。

 

日中は晴れ晴れしてる昨今だったから、本当に、こんなことが起きると、確かに

どうして

と、思ってしまいますが、

言ってる場合じゃ無いですね。

 

とにかく、私の回りの人、近所の人、市内の人が皆が、

 

ちゃんと生きている。

 

それだけは現在の真実です。

 

数日前からお星さま沢山ありがとうございます。

私はコメントの受付を個人的に使用していません。私の性格からお察し出来るかと思われます。

ですから、お星さまは無言の「訴え」です。祝福であり、励ましであり、非難でもあると思っています。

 

 

回復時間かかりますが、気長にたまに読みに来てくださると嬉しいです。

 

支度迄しても出掛ませんでした。

昨夜は激務でした。噛み合わない時とは有るものですが、昨夜はそれでした。

あれやこれや従業員同士や板前と連携が取れなかったり、

連絡がすれ違いしてたりで、

なんと言うか

災難でありました(泣)

 

 

しかし、まあ、こんなことは下っ端(この中では一番新米ですから)なので、

こんなモノだと割り切ってましたが、

やはり心理苦痛は体重に現れるものです(マイナス500gram)。

腑に落ちないわねえ(笑)

 

凄くたくさん運動しても、そう落ちないときは落ちないっての(笑)

まあ、

しかし、喧嘩したとか大失態したとかじゃないから、

普通そうは苦痛ではない筈なんですけどね。

人の気持ちほど複雑な物はないわ。深層の心理も。

最近は、浅い眠りが多く、夢を見ますが余り気分が良い夢ではなく

(悪夢ではないが、気分が良くない。)

鬱症状ではそう言う事項もあるけど、何もかもを鬱に結びつけるのもどうだかな。

と、思うんですよね。

 

さりとて、ずいぶん長く深い眠りばかりを経験してきた私には、

浅い眠りは余り有り難くないですね。

泥の方が、私らしいや(笑)

慣れないことは、あんまりやりたくないと言うか経験したくないと言うか。(笑)

(無難で居たいタイプですわ)

 

で、昨夜帰宅した時点は日付変更よりは若干早かったんだけど、

さて、どうしようと考えてました。

 

スタバのスターホリデーのメール到来と映画半額の日が、被っている。

 

やろうと思えば

 

更に合わせがけして

病院にも行ける(計画すれば)。

 

 

前から記していたけど、

パートナーから映画代(パンフレットとポップコーン代つき)を戴いている私は、

いい加減上映が終了しそうな「劇場版ー鬼滅の刃~勝利への鳴動~」を

そろそろ観に行きたかった訳ですが、

 

スターホリデーと映画を合わせがけになると時間都合は少し厄介だし、

病院を更に付け足すと

割とギリギリの1日になるかなあ、と思った。(悩む)

 

単純に、病院を別の日にすればいい訳だし、

スターホリデーも見逃しても問題なく年内はゴールド会員になれる確信があるから、(スターが、既に貯まっているから。)

これも今月は諦めればいい。

 

つまりは、ただ映画に専念すればいい。

しかし、

映画だけで楽しめるか、とか

せっかくの休みにホリデーに行かない手はない、とか

 

ついでに病院も、と

 

あれやこれや画策してしまうのよね。

何もかも一回でやろうとする。(楽になりたい)

何も切り捨てられない(欲張り)な上に、

何もかもやるのは面倒(心理的な苦痛)だと思っている自分がいる。

 

腹筋しながらずっと考えてましたが、明日の朝考えよう。

目覚めて体調を自覚してからだと。

それにしても。

 

映画すらも

楽しみに出掛けられないなら矢張止めた方がいいのだ、と思うのに。

 

「なるべく外出した方が体や心に良くないか?」と

言い訳がすぐに浮かぶ。

 

こう言うのが一番面倒だ。

 

ああした方が体にいい。

こうした方が心にいい。

しかし体は辛い、心も辛い、気持ちも晴れてない。

そんなときに

サービスデーや休みが重なると、

ますます「何かしなければ」に囚われてしまう。

 

なので、翌朝

結局、浅い眠りから起きてしまったから、(本当に眠りが浅い。

それだと疲れが取れた気がしない上に、

心理苦痛が朝から重い)

とりあえず、まず形からと、

メイクしたり、

服を合わせたりしてみた。

 

気分が上がるか、メイクすれば後戻りはしないかもしれない、

と言うものに掛けたが、

結果的には無理でした。(笑)

親友と電話してたら若干気持ちは上がったけど、落差がありすぎる。

 

 

電話しながら服を脱ぎましたし、

ソッコーパジャマ着ましたね(笑)

 

病人の1日決定ですね。

 

運動する気持ちも湧かない位なのに、

どこかに出掛けてお洒落に飲み食いは愚か、

映画館に向かえたにしても

 

これはパートナーに失礼だ。

こんな気持ちで映画を鑑賞だけして帰れと言うの?

形だけ楽しんだふりしてパンフレット買うとか、

何処まで嫌な記憶にするつもり?

侮辱にも程がある。

万全に迎えたいんですよ。その日は。

少なくとも今日無理して鑑賞するものではない。

まだ、上映終了のマークは出てないし、

 

運があるなら、必ず観れるし、

観るために私は頑張ろうと思うわ。(日時調整ね)

 

少なくとも、今、無茶をやることは、成功するとは思えない。

私が、一番前向きでないのだから。

 

↑母が兄宅から芍薬を取ってきました。祖母が残した芍薬畑です。

 

やはり、綺麗だなと思います。

でも。

陽射しの下の緑葉の方が眩しく綺麗だった。

 

 

私が楽しめるときも、私が選べばいいのでしょう。(映画は時期があるけどね)

 

病院、スタバ、酵素ご飯、映画、買い出し

 

 

どれもバラけるかも知れないし、その時に応じて変えましょう。

 

さあ

 

メイクももう落としちゃえ!(笑)

 

※ついでに書き足せば、「チャリメラ(ちいかわ)」作って食べたり、

(滅多にインスタントラーメンを食べないが、試しに)

 

スタバのハチドリ珈琲(ドリップ)も淹れてから飲んだりしましたが、

最後まで気分は上がりませんでした。

本当に、時期なのですよね。

あと単純な深層的な苦痛(目にも見えないから厄介)

 

 

しかも、三回眠りに入りましたが三回とも失敗に終わりました。

 

まあ、そんな日もあるし

助かるのは休みであったこと位でした。

しかし、

 

夜にまさかの地震に襲われるのです。

 

 

 

 

共感しやすいお客様。

さすがに、二日連続でミスはやらないですよ(笑)

つか、しませんね。

断言するのは、どんなミスで傷付いても、それは翌日の仕事やお客様には無関係だと、スッパリ断ち切るのが私だからですよ。

(やったにしても、更に翌日はやらないと、切り替えることも出来るの。

先日みたいなでっかいミスをして、スッパリ割り切るにしても確かに半日くらいは掛かるけれども)

慌てず、騒がず、

しかし、決意は新たになる。

つまりは、

昨日はミスをやらなかったし、

さりとてバリバリ巻き返すような真似もしませんでしたよ。(ガス欠になる。)

 

でも、

お客様が良かったからです。

 

私が一番相手や話をしやすいのは、

熱いお茶が好き。

美味しいものが好きなことを隠さない。

板前に誉め言葉をくれる。

大体上記の一つが当てはまると、

漏れ無く親しみが増して、私が饒舌になります。

(当社比(笑)

一割から二割(笑))

私は珈琲を飲みますが、三十半ばくらいまでは、お茶派でした。

(カテキンやカフェインで体に支障が出始めてからはかなり制限してますが、

それでもお茶は大好きな茶婆だ。

だからこそ、美味しい茶の淹れ方は心得ている。

あくまでも一般的の、だが。)

 

お客様が「美味しいお茶が飲みたいわ」と言うなら

「はい、お任せください(笑)」と言えるし。(実際にあったことよ(笑))

で、次の「美味しいものを食べている表情を隠さない」人が好き。

 

スタバとかでたまにスーンと飲んでる人見かけるけど、単純にポーズを取りたいか、自分のスタイルや姿勢を見て欲しい人なんだと思う。

ポーズがポリシーなのは構わないけど、

凄く「回りとかどうでもいいから、飲んでるだけだから、ほっとけ(いや、絶対近寄らないけど)」オーラが強くて

近寄りがたい。(近くに座るなと言うオーラが凄いからね)

そういう人が食べてる飲んでる物が

凄く不味そうに見えて仕方がない。(勿体ない)

 

スタバは置いといても、

 

高いもの食べに来てるとき

美味しいなら、美味しいと言えば良いのに

無表情だったりすると

「え、まさか、不味いのですか?」と聞きたくなるでしょ(笑)

私たちは頑張ってるし、定評も星も高いしね。怠ることもない。

 

家庭でも同じじゃん。

頑張って作ってるご飯をムスーと食べられたら嫌だよ、誰でも。

 

特に外食なんて、食事に腕を奮ってなんぼなんだから。

聞きたくなるでしょ、

言って欲しいでしょ

「わあ、美味しい」って。

でもそれは、心からそう思えたらでいいのよ。

何も偽善をやれとは言わない。

 

だから「わあ、美味しい」と言う本音があるなら是非聞かせて欲しい。

だから、私は外食では惜しまないのよ。

美味しいものに対する感謝と「美味しかった」を。

 

で、ラストは個人的なことだけどね。

社長がさ、

誉めないのよ。板前を。

板前があんなに頑張って、回りはそれを支えたいと思えるほど慕われてるのに、

気付いてくれないか、見てみぬ振りをしているのよ。

 

私は、頑張っている人だと感じたら言わずには居られないのに(それは病気の症状から来るにしても、多分、それだけじゃあ言いたくならないと思う。)、

払ったんだから敢えてと言うか、

当たり前に胡座をかいて、

言葉すら惜しむのは大変「面倒臭がりだなあ」と、思う。

最も代償が必要がなく、最も気持ちが籠る大切なものだ。

使わなくてどうするの。

つか、日頃何を使って人を労ったり感謝したりするのだろう。

まさか、言葉を面倒臭がって、何もしないは無いよね?

 

ああ、使っちゃったらだだ漏れになるからですかね?

言葉には様々なものが宿るから、特に人間性とか無茶苦茶分かりやすいですよ。

 

使い方、選び方、音、速さ。

 

だから、私は言葉を惜しまない。

 

私のことは、分かって欲しいから。

 

(勿論、相手は選ぶ。善し悪しの判断も聞き手に任せる)

 

昨日のお客様は、その全てがあった。

「板前さんに、美味しいっつつて伝えてほしいわ」と、

言われたときに

「はい!きっとお伝え致します、ありがとうございます!」と、もう反射的にね(笑)

踊りたくなるくらい嬉しかったし、

すぐ伝えましたよ。(笑)

何もかも美味しいと言ってくれて、

お茶を何杯も飲んでくれて、それで板前を誉めてくれたなら

 

そりゃもう、私は、ニッコニコのハチワレみたいでしたよ(笑)

 

これは↑は

親友が東京にて撮影(笑)

本当に、いつでも、「なんとかなれー」ですね。(笑)

 

笑顔で最後まで送り出し仕事は終了しましたが、

やはりそんな日は気持ちもリフレッシュするものです。

 

(まあ、一時的なんだとは分かってますよ。それが鬱病ですから。

 

感情の幅に起伏があるのよ。

虚無で何も感じなければ、嬉しくて泣くこともある。

私は別に泣かなかったけど。)

 

でも、

ひどいショックから立ち直りきっては居ない私には、大変沁みた。

(別に立ち直ってない訳ではないけど、

ちょっとしたことに、小さな臆病が付きまとうようになった。

何回も確認するのは悪くないことだけれど。

 

しかし、これも一時的なものだと分かっているから

今は臆病でいいかと、放置している

 

そんなに長く臆病で居られるほど、小さな肝ではない。)

 

 

どうぞ、また、お越しくださいませ。

(^ω^)