39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

精神病院と虐待 1

タイトルはどう考えても捻りようがなかった。

心療内科に掛かる全ての方、鬱を抱えてる方、今健勝である方、何方にも叫ぼう。

 

ある日やむを得ず命を断とうとしたが、結果的にパートナーは奇跡を起こして(また、後日いつか話す)、私は生きていた。

奇跡を語る記事じゃない。

これは虐待の短い記録と記憶。

 

介護施設であろうことか介護員が虐待してたなんて話は昨今珍しくない。

保育園で保育士が虐待をするのも、ブリーダーが繁殖させた犬を生かすも殺すも。

これらは大差ない。

力のない者の手綱を握る者、資格と権力のある者は何でもやる。理由もつける。影だけじゃなく昼間でもやる。

 

たった一月で人の尊厳を奪い尽くす、足掻くことを笑う、その癖患者の裸には欲情する屑職員が居る。

 

精神病院とは、(通院ではない、入院、病棟だ)つまりは鉄の柵の中だ。

当然自殺させないためだが、私には、患者を逃がさないためにしか思えなかったな。

人間が逃げたいのは恐怖から逃れるため。

嫌なもの、苦手な事、全て纏めて根底にあるのは「怖い」気持ちだ。

病棟はもちろん見た目は綺麗だが、それは見舞い面会部屋から見れる範囲だ。

 

私が入れられた病室は神経質な患者の集まり(六人部屋)だったが、じきに四人部屋に移される(勿論理由があった、同室の患者の訴えたのだ、私が眠れずトイレに何回も行き来するのが煩わしいとな)。

四人部屋だが話が通じるのは辛うじて一人、それ以外はナルシストと、病院に娘を入院させたが面会や外泊の度に浪費させられるのに疲弊した末夜逃げした、という親を持つ百貫デブ(癇癪半端ない、デブの全力は遠慮がない、殺される)。

 

携帯、音楽機械、漫画や雑誌持ち込み不可。

トイレットペーパーがない。自分でトイレ紙を管理する(貸し借り不可)。

風呂は週1、7時、12時、18時食事後薬、ラジオ体操強制、部屋にも廊下にも監視カメラ。週1売店に行けるが監視つき。週2回おやつの日、おやつは売店で購入したものを職員が管理する、暴食防止。

食事、栄養士管理で問題ないが、残すことお代わり禁止、特にお代わりは要らないのだが、患者によっては食べても足りない人が居る(実際私が落とした肉を、手早く掴んで食べていた患者が居た、とにかく素早かった)、残す人や捨てる人を隈無く監視している(私は上手くできた方だ、何で食べないのかって?薬がないから食欲減退してたから、後に記す)

で、虐待についてですね。

 

患者にはランクがある。

叫ぶ人や喚く人や漏らす人や被害妄想がひどい人叩く人投げる人が重症

(私の部屋にも歌うナルシストがいたが。おまけに踊る、だが喚かないからマシ)

認知症重症のばあちゃんが数人(はっきりいって選ぶ施設を間違われた被害者)

神経過敏神経質の患者のグループ

食事管理が必要な肥満姉妹(連帯感が鬱陶しい)やたら紅蓮の弓矢を歌っていた、夕方病棟内部回りを散歩が日課、一周10分を何回も回る、今も回っているだろうか。

内気内向的噂好き比較的ましなグループ、私はこの部屋にちょくちょく来ていた、他の人とは会話が成り立たない。

 

虐待だったね(笑)

 

まず車イスに縛り付ける。

どこにも行けないよ、何が出来る?

 

車イスを押され、部屋に連れていかれるときの台詞は

「お前の小屋はどこだ」

ついでに言うけど看護士は女、医師も女(男の看護士は一人だけいた)

 

餌を与える任務。

なかなか食事が進まないばあちゃんの皿に

汁物主菜副菜ご飯を纏めて投入。これだけ食べたら食事終えて良いよと命令。

 

眠れないのを訴えても睡眠薬は出さないか、微量(効かない)

 

風呂で人の裸をひたすら眺める男性看護士。

 

訴えを却下する酷薄さ、なのに悲しむ人をナースルームで笑う。

 

怒声と暴力でストレス発散。

 

面会を勝手に断る。

 

外泊の許可も帰還の許可も下ろさない(ばれたら困る事がある)。

 

私が見聞きしてたのはこの範囲。

 

では私は何をされたか?

 

薬を与えられなかった。

 

与えられたのは四時間眠れる強い睡眠薬(だが四時間。九時に消灯なのにだ)

 

薬を断つ治療方法は実はある。

問題はそこじゃない。

 

医師と対峙し、どう治療するかを話して決めるとき、彼女は私を見なかった。

ただ、スマホを操作した。

スライドして、「あー、薬を断つ治療法あるなあ、これやろう」

終わり。

 

症状も希望も今まで飲んでいた薬を引き継ぐとか、そういうのは一切無いのよ。

そんな治療方法もあるから試そう。それたけ。拒否権すらありませんよ。

 

そん時親はと言えば「お嬢様がこちらでの治療を希望しましたので」と言う言葉を信じていた。

 

 

ごめんなさい、続きます。

 

続きは私の受けた屈辱とか虐待

そして、どうやって逃げたか。

 

思い出すと今でも病院を燃やすか、当時の看護士潰すか、社会的な制裁とか切りもない。