39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

とうとう、これを出す時が。

コロナ陽性が判明して二日目。

実質的には、私は更にそれを遡り三日は体調が悪かった事を考えれば、

今日はコロナ罹患から5~7日目と判断するべきでしょうね。

何故なら

コロナ二日目でこんな元気な病人居ませんて(笑)

コロナって、以前は隔離され外出は勿論外界遮断(海上の船を降りられないとかね)されていた、大層質の悪い病気で

人の叡知の素晴らしさは、人が外に出てマスクを外せ、罵倒されることもない日常をたった三年で造り出したことだ。

その間の犠牲や努力は涙ぐましい物がある。

人はまず家族を一番にと、マスクや熱冷ましや風邪薬を買い込み、ドラッグストアは朝の開店時間から列が並び、

最低限のマスクを購入することさえ困難だったのは、昨年頭だったと記憶する。

しかし

コロナに対しての哀れみや助成金や配慮は長続きしない

 

結局、罹患したものの自己管理が甘かったとか、

マスクが粗悪だったとか、

人混みに不用意に入ったとか

罹患したものが悪いという扱いと

罹患しない自分凄いと言う優越感まで生まれる始末だ。

 

昨日記したけど、外出せずに買い物すらせず荷物すら受け取らない私には罹患する確率や方法は、100%兄からのもので

 

それでも、無理矢理に出勤した末に働いたその日に一体何人犠牲にしたのかと思うと、それだけは許せない。

私が38度の熱を抱えて(もう、その段階でコロナだった筈なのに)行かなければ、

お客様も店員も板前も

誰一人も少なくとも自己管理や不慮の感染を確実に避けられたが、私のせいでその確率を大きく上げたのです。

しかも、検査キットを持っていた私が使おうとしたときにはキットが無いと言う(おそらく、昨年の物なので母が捨てたと考える)

自分が最大限に配慮しようがしまいが

回りがそれを拒絶したり邪魔したりすれば

 

未然に防げた未曾有の被害は防げません。

地震被害のために持ち出し袋をきちんと年々買い換え用意していたのに、

いざ地震が起こり逃げ出そうとしたが、

袋を持ち出ししようとしていたら、

家族の誰かが(子供、妻、義理両親など)昨年の袋だからと、好意で袋を他の誰かにあげていてひとつも無かった。

(当然避難してからは持っているだけのお金で、あり得ない価格の品を買い、本来使わなくて良い出費になり、何のために毎年袋を買い換えしていたかと馬鹿馬鹿しくなる、さらに自分な意識で購入していた自腹のものを、只で誰かが他人にあげたとあっさり言われた。などの話なら尚更だ)

または

台風災害で避難勧告が叫ばれるなか、

自身が住む区域さえ避難指示され、子供や旦那は帰宅を待っているのに

他の店はシャッターを下ろしてしまい、

こんな時だから客がたくさん来てうちの店だけが売上上げているからと言う勝手なオーナーの都合で、

無理矢理に残業させられ、更に残業させられ、

帰宅する頃には自分がもう使い物にならないのに、翌日台風後始末で呼びだされた。

とか

 

本人のやってること以外の配慮も成り立たねば、成功しないことはたくさん在るんですよ。

普段自分は自分に心掛けているから大丈夫とは行かないんです。

その自分を取り巻く状況が足を引っ張れば、漏れ無く自分も巻き込まれ、

理想通りで「常日頃から考えていたからな!」からはかけ離れた現実があり得ると言う話です。

 

だからこそ、情報は特に家族と共有し、どんな理屈があってもダメなものはダメだと言えなくてはなりませんでした。

私は、仕事や人手不足を盾に、仕事を失うとかクビだと言われるのは理不尽で結局出勤したことになりますが、お陰で酷い罪悪感を抱えて生きていかなければなりません。

仕事を盾にされたらどうにもならないと言う理屈は、おそらく、どこにでもあり、

仕事を辞めるとか仕事を探すとか、即決仕切らなければ断れないのが大多数です。

世の中簡単に転職は出来ないし、妻子や両親がいるなら尚更難しく、故に盾にしやすい。

相手はそれを分かっていて使うのですから。

ので、分かりやすく記録はブログに、内情は先生と恩師に報告し、その経過や写真もパートナーと共有し、保存しています。

不利益や不愉快な解雇などを申し出られた場合、社会に訴え社長を揺るがす簡単に使える証拠になります。

私のコロナ事案は

昨夜記したように

コロナ、ではなく

体調不良、で片付けられてます。

 

先月の、膝棚炎症で4日動けず

打ち身で5日回復に必要としましたが、

こんなに毎回毎回

私の回復が必要な休みが

毎月毎月発生して、

 

しかもコロナは理由として適用されないなら(店の事情で)

端から聞いたら私は只のサボり魔みたいなものですよね。

「また、あの子休んでるの?おかしくない?サボり?」になりますよね。

 

何かあれば、休みます休みます、で

本当は働けるのに遊んでいるような。

 

昔、入学式に校長先生言われたのですが、

「人は年に一回、倒れるか倒れないか位の確率でしか辛い風邪を引かない。

つまり一年に週休以外の三日休みがあれば一年無事で居られる。

だから、わが校では10日以上休んだ生徒は退校処分とする。(高校は三年だから、一年に三日休んだとしてせいぜい10日と言う理屈)」

今思えば、未知のウイルスや雑菌や免疫など無視した

 

若いんだから休むな、

いじめくらいで休むな、

休みすぎたらもう来なくていい

 

と言う理論でした。

 

そして、現在特別な特効薬もない病気と、人は共存することを望んだ上で

入国や外国からの観光客は確実に戻ったわけですが、

あくまでも

共存しなければ

個人の家庭、外出、会社、貿易、輸入輸出などが困難や貧困、火の車になるのが分かっていたからです。

 

それを、忘れてマスク外してフィーバーしている人の気持ちにはこの先ずっと気持ちが共有出来る気がしません。

何度も書きますが、個人がどれ程対策したり自信に満ち溢れ自己責任を吟おうが、

必ず他の誰かに確実な迷惑をかけます。

勿論対策出来る薬こそあるから(開発されたり、純度を上げたり)処症状は

あくまでもおさえられますが、

コロナを治す薬はありません。

 

なのに。

自己責任は付き物なのに、理解はしてないけど、楽しいことはやる。

向かう、行う。

子供かわいそう、孫かわいそう、

マスクでメイク出来ない、綺麗な私の顔を見せられない、

外食出来ないしデリバリー負担額で家事大変辛い、

我慢ばかりで家族から八つ当たり遣りきれない、

だから、もう

 

人の事はどうでもいい。

 

そう考えているのが世の中現在の七割には近いと思います。

「皆理解し合いながらコロナに気を付けよう」と言う雰囲気は欠片もなく、

「私一人病気で辛いからウイルス撒き散らしてやる、お店入っちゃお」とか、

 

「罹患したやつ運が悪い可哀想だけど笑える

俺や家族じゃなくて良かった。」と

考える人の確率の方が高いでしょう。

 

 

コロナに関しては完全に個人、核家族思考にシフトチェンジしていて、助け合い思想は成り立ってません。

今は能登の被災地での助け合いこそがほぼ意識スライドしていますが、

ボランティアや救済が撤退して行く現場の「あのときの助け合い」を求め困窮する声は、拾われない。

新聞やニュースにて報道するし、私も募金はするけれど、コロナの現状ではコンビニすら行けない。

誰しもが難儀で恐ろしい瞬間は手を取り合うのだ。

(それでも、薬やマスクの買い占めは起きた。

今は大量のマスクが備蓄されてるだろうから困らないと思うが、

次の大きなコロナ禍が起きれば同じことが起こり、

一年くらいは、またうるさい「ええじゃないか」騒動が始まるでしょう)

 

 

 

個人の体を鍛えて、食生活意識して、

外出のマナーやマスク着用殺菌シートの常備、外出時には周囲の状況や環境を見て判断し、

そうして一番面倒な「危機からの拒否」が出来なくては、ほぼ完全にはコロナを防げません。 

(それですら、ほぼです。

勿論、完全はありません。)

自分全然大丈夫と言う人ほど、

実は病気で寝込んだり熱が出て動けなかったり、関節痛の辛さやや心細さに滅法弱いのです。

体が丈夫だからと言い切る理屈の一つは当然完璧な食生活やパーフェクトな運動、その成果が肉体や体重に現れたときです。

プラス思考になりやすいし、実際私も運動してきたから信用しています。

ですが、記録だけでいいなら、私もパーフェクトに近いのですよ。

今運動出来ないのは歯がゆいけど

 

でっかい公式の貼り紙(コロナ陽性コロナ陽性コロナ陽性)が

なければ休めない、休まない。

無理して働けと言われたら無理して働くし、

毎日やってる運動やらなくちゃと休んでいいのに敢えて無理をする。

 

因みに、

私はもうピークは過ぎた陽性者ですが、(うち重篤なのは3日そのうち無自覚コロナでありながら1日夜仕事している)

今は悪寒も熱もなく、強いて言えば咳がうざいのと時々の関節痛だが、それは重篤な時でも同じだった。

熱や悪寒そして、頭痛が一番苦労させられるのだ。

しかし、たまたまだが

私には頭痛はあったが、私はもとから肩凝りから来る頭痛を押さえるために筋肉弛緩剤を貰っていたため

実はこれを多少いつもよりは増して使っていた(数日前から首が凝っていた)が、

結局筋肉などのこわばりを抑え頭痛を抑える作用があるこの薬が一役買っていたのかと思う。お陰で頭痛や筋肉の痛みをほぼ避けられた。

あと、昨日記したけど、心療内科の薬の副作用の食欲増進(ただいま薬抜きの経過)があったため、

食べなくても平気だが、食べ物あるなら食べる。の状態だった(笑)

お陰で普段なら躊躇う高カロリー爆弾をいくらでも平らげた(笑)

身体をさっさと治したいなら、

食欲復活させ(そこまでが難儀だとして)

食べた方が

頭にも体にも「健康最高」の作用が出るからだ。

コロナ3日目にして優雅にコーヒー飲んでますよ。(笑)

飲んでいた薬の作用や副作用の使い方を間違えないこと

体力作りと、善玉作りを怠らなかったことが少なくとも現在の勝因だと思っています。

 

もっと言うなら検査キットがあれば、一番ビクトリーでした。

 

キットは探してますが見つかりません。

 

 

さて、暇で仕方ないからいよいよこれを取り出しました。

 

別に誰からも世話されてませんけど、私はちいかわのお世話してきます(笑)

病院の方々だけは、申し訳ないお世話して頂きましたが(笑)

 

私が多分コロナで働いた日、

あの日には高齢者が六人いた。

それを片時も忘れるつもりはないし、誰かが死ぬ度に

コロナなのか寿命なのかと

多分思い続けるだろう

 

 

 

 

 

私は、人殺し(未遂)に仕事に行ったのだ。

 

確信犯ではないけれど

 

選べた筈だった

 

 

そして、選んで連絡をした。

 

 

でも、もし、誰かが重篤になり酷い後遺症に遭うなら、それは私のウイルスのせいだ。

 

それは、仕事を断り

しかし拒絶され

それでも尚も断らなかった私のせいだろうか。