こちらは、ようやく、ようや〰️〰️、く!!長い長い夏が終わろうとしています。
日中でも、30度くらいでしょうか。
夜勤である自分が帰宅の路につく頃の風は、寒くもなく暑くもなく、
何だか台風の風に似ています、ちょっと風情がない(笑)
そんな10月を前に、ぼちぼち年末までの支度を始めねばと、チラホラ動き出しましたが、
10月始まりのスケジュール帳に、現在のスケジュール帳の重要事項を移す事
延ばし延ばしにしていた、恩師への手紙や、パートナーの荷物等を郵便局から発送する事
預金通帳や貯金通帳を記帳し、予算をたてたり貯蓄確認をする事
一人焼き肉開催間近なので予約する事
ハロウィンのお菓子の包みを10個以上作るので、まず包みなどを買いに行く事、
併せてハロウィンアソートがあるなら早めに購入。(早々無くなっては大変、良いものは先に売れてしまう)
お月見団子を十五夜に購入する事(これが案外難題、当日問題だから。団子は早めには買えない)
クリスマス計画(親友たちと、パートナーと母にプレゼント)プレゼントと同時にケーキの予算も一緒に確保、確実に金欠(笑)
年末の多忙を覚悟し、おせちをどうするか考える(店で仕出しをしてるから購入可能、しかし二人には多いし高い、しかし売上貢献と雇用に対する個人からの会社への感謝はするべきだと私は思う。年に一度だし)※母と相談
年始については深く考えてないが、三が日午前中に初詣に行けたら幸先が良い、程度の考え(しかし、私は午前中は潰れるから仕事次第で体調次第)あわよくば御神籤を引きたい。
来年の話をすればなんとやら(笑)
これを3ヶ月のスケジュールとしますが、ハロウィンや月見とかクリスマスやら、期間限定が増えるので、私にしては多忙(泣)
とりあえず、今現在はパートナーへの荷物中身確認と、恩師への手紙を記してるところ、明日発送し、ついでに銀行やら郵便局で記帳してきます。
暑いと言うだけでこれだけの事が停滞していたわけですよ。
「その程度」が出来ないんですよ。
チャリか歩きだし、内臓は暑さでメタメタだったし、今年も熱中症喰らいましたから(笑)
無茶はしないと約束して生き延びましたよ(笑)
体力ギリギリで、仕事もギリギリで、ゆとり無かったなあ(泣)
それは、皆様同じ何ですけどね。
だから、皆様も今から発進される方も多いかと。
今年の教訓が来年に生かされたら良いんですけどね。
ところで、秋ですから、本当に自律神経が揺さぶられてます。
果たして秋だからか、夏から引きずっているのかと思うと、どちらもだし、冬に無事になるかも見当がつきません。
先日キングダムアニメ一期を見てましたが王騎将軍の台詞である(有名)「長年将軍をやっていると感じるのですが、ここはまだ死地ではありません。」なのですが、
私も今が死ぬのか死なないかは自覚できます。
死にそうでも、「死ぬかも」なんて思ってみても、いやここではない、とは分かるんですよ。
これは誰しもそうではないでしょうか?
私は、「もう、いいや」と自殺を計りましたが、死の瞼を閉じる瞬間にそれを感じてましたよ。
必ず目を開く、それを救うのはパートナーであると。
死ぬことに迷いがなかったのに、死ぬような気がしなかったのです。
パートナーは私の危機を直感して、母に電話して、私を助けるように頼んだのです。
パートナーに助けを求めたり会ったりしてないんですよ。大体距離があるのにパートナーが直接私を助けられる訳じゃない。
勿論私を助けたのはお医者さんであり、救命士の方々です。
結局は母や兄が助けたとも言います。これに関しても以前に記してますから、ここには記しません。
猫が死ぬときに姿を見せないように、人間にも、灯火が消えるかどうかは直感が働くものです。
頭の中か目の奥か意識の根底か、灯火を感じるんですよ。
だから、危うくなると私はいつもパートナーに揺らぎそうな体と精神を支えられていました。
実際、今年の夏に記した記事に、命が危ぶまれた瞬間パートナーにすがった記事を記しています。
最近は、自分の命に危うさを感じなくなりましたが、代わりに、命を軽く捉える自分に対してやけに涙もろくなります。
よくある「自分なんか」とか「自分の命など」と言うネガティブ発言ですね。
自信の無さが現れるとは言いますが、そこまでネガティブな気持ちでは無いんですけどね(笑)私は結構幸せですし。(笑)
自信が無いと言うより、「何も出来てない」と言う肯定感の低さでしょうね。
恐らくは、仕事は出来ていて、人間関係に多大な問題も無く、収入を確保し、あちらこちらでちょっぴりお話しできる人達がいて、贈り物してみたり、サプライズしてみたり。
これらは充分に幸せな筈なのに、私には幸福感がはっきりとは感じられない。
それは、寂しいことです。
そして、それを顕著に感じたいならもっと薬を飲む必要があるって、
凄く嫌じゃないですか?
限られた量の薬で、出来るだけの事をやろうと、ダイエットを始める前に自分で自分に決めました。パートナーにすら相談していません。
そうしてダイエットは成功しても、実感している現在も毎日幸福感があるかと言われたら、ただ現実があるだけです。
相変わらず、心の中の自分のイメージは、いつも瞼を閉じ静かに涙を流しています。
それはまるで、誰かを置いて行くことが悲しくて仕方がないと思っているように見えました。
何故か、喪われるのは自分だと思っているのですね。
いつでも、静かに喪われるのを隣り合わせに生きていて
我に帰るように覚悟を決めようとしている自分が居るのです。
不思議ですね。死にたいとは微塵も思わないのに、自らが喪われるのをいつも覚悟しているとは。
それとも、幸福のなかに死に行きたいのか(別に死にたくないけど)
自分が哀れか、陶酔か。
先日、沈黙のパレードを観たときにKOH*の「ヒトツボシ」を聴いて泣き出してしまいましたが、本日The SketchBooksの「21」を聴いても泣いてしまい、死ぬまで(具体的ではない)になにができるか、伝えられるか、
そう残せるものを考えているのかと漠然と思いました。
父親を思い出すのは、何も残せなかった父親へ憐れみと悲しさを感じているからです。
死ぬまでに、と考えると
死んだあとを考えてしまうから悲しいのでしょうね。
さて、
DVD観賞四作品目は、
自分がミスをしました。前作があるにも関わらず、知らずにレンタルしたので、詳細まではっきりしませんでした。前作「悪魔の奴隷」を借り直してからですね(笑)
インドネシア作品でしたが、宗教色濃かったですね。怖いと言うか貧困とか、DVや、生活困窮者が多いのが辛い感じでした。
さて、次も恐らくは揺さぶられること間違いなしだと思われる「死刑に至る病」です。
最後には藤原竜也の、ノイズ、が構えております(笑)
さて、泣くのはボチボチにして、明日の仕事が既に構えております(笑)
ネガティブな話にお付き合い頂きありがとうございました。
↑セクハラショットですが仕方ないんです!理由があるんです!(笑)
まさかの、メスだと思っていた兄の家の子猫にタマタマが!!(泣)とか。
驚きましたよ!
あるあるですけどね?!!(笑)