39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

子どもたちのために。

先昨夜かなり日付替わる前後にして帰宅したら、

突然スマホが着信を告げる。

 

相手はパートナーであり、

うわ、まさかの凄いタイミングだなあ。相変わらず。

等と悠長に思ったのだが、

 

「明日は休みかな?」と言われたので

「休みだけど、どうした?」と返す。

 

大概これを言うときは、長話がしたいが時間は大丈夫か、気にしているときだ。

「なに?話があるんでしょ?」

「うん、さっきね、電話あって。」

 

 

もうさあ。

 

分からないわけ無いじゃん(泣)

 

 

つい、二日前に入院した筈の

彼女のお父様が息を引き取った。

 

 

「帰省して心配もさせない、切符も無駄にもならない(往復グリーン車チケットは出発日付を変更するのは可能、期間は限られているが)

長く入院をしない

子どもに迷惑をかけない

 

お母さんとそっくりなお父さんだ。」

「言ってる場合か!ばか!(笑)

 

でも悲しみは、後に来る。

 

泣きたくなったら私には泣いて、私は悲しいから今泣くけれど。」

 

私は、実の父を失った時よりひどく悲しく

涙は止まらず

 

 

来年祈願したかった願いさえ、

 

このパートナーのお父様が、

 

「何も面倒なことをせずに済むように」と、

 

好ましい全ての人に

 

何より我が子どもたちのために

 

これっぽっちも迷惑も心配も残さなかった事が、尊い反面、

悲しくて

そんな尊い人が喪われたことが

悲しくて

 

パートナーと話をしている最中は、ずっと泣いていた。

 

あの人は今は多分まだ

実感が無いだけだから。

言葉で現実を早く受け止めた私が先に泣くのは普通のこと。

 

 

彼女の早くに他界した母親も、そうだった。

自らの死期すら分からないうちから、娘、息子たちに残していたものは、

サイズぴったりの喪服、真珠と、数珠だった。

(彼女は彼女の母親の死に目には会えていない

しかし、帰宅したときに、

既に準備されていた喪服ら一式に、あまりにも驚いたと言う)

 

 

似た者夫婦。

子どもたちに何一つ憂いも苦しみも苦労も心配すらもさせないで、

決して子どもの時間を失わせず、

決めたかのように早くに旅立ってしまう。(お父様は余命をご存じだった)

 

余命を伸ばすのではなく

うんとうんと短くして、

入院してあわせて3日。

たったの二日と3日目に。

余命の半年も前に。

 

何も子どもたちに準備をさせる事もなく。

年内に全てを終わらせた。

 

 

それなのに。

悲しみは深くなるのは何故でしょう。

 

 

私の愛する人が、どちらの死に目にも会えず、

結局、彼女はお父様の余命を宣告されてからお父様と会話(通話)すらしなかったから。

(多分ここらは、同居していたお兄様が何か知っている、とパートナーは言う)

 

 

私はただもうひたすら

彼女の尊い人が喪われたことが、

会話をさせられなかったことが、

パートナーをどうにもできない無力な自分というものが

悲しいと言う言葉のみに集約されます。

 

 

子どもたちの為に。

 

 

親ならば誰しも一度は考えると思います。

 

それにしても、

こんなに「潔い」残しかたが有るものなのですね。

 

きっと、潔いからこそ、

狡いと私は思ったのだと思います。

 

けれど、それもまた、

ただもう本当に潔過ぎて美しいから、美しさには敵わずただ涙が出るのだと思います。

 

悔しくて、潔くて、美しく、そして狡くて悲しいです。

 

私のパートナーの産みの親が、どうか安らかにありますように。

 

あなたの大切な娘さんは

 

私が確かに大事にします。

守ります。

泣かせません。

幸せにします。

 

あなたの声を私は聞いたことがあります。

 

 

でも、本当はお話をしたかったんです。

お父さん。

子ども孝行をしつくしたお父さん、お母さん。

 

今は泣かないパートナーの代わりに私が幾らでも泣きます。

彼女が泣けるようになったら、その時は一緒に泣こう。

そしてその次は私が聞こう。

幾らでも話を。

 

昨夜最後の会話

 

私「泣きたくなったら私に泣いて」

パートナー「そのときはよろしくお願いします(笑)」

 

頼まなくていい、あなたのタイミングなら何時だって構うもんか。

 

それでは今宵(昨晩)は

ここまでに。