39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

人は変わって行く生き物だろ。

色々今回は記す話はあるのですが、

昨日までDVD鑑賞していて、

大変嫌な気持ちになった瞬間がありました。

相変わらず、DVD本編が始まる前には、他の新作の案内があります。

興味を持ち、タイトルをメモるものもあれば、

これは特に面白く無さそうだと、目を背けスマホ弄ったりして飛ばしてしまうこともあります。

で、前から記してますが

 

私は邦画の恋愛ラブコメが基本的に苦手です。(特にシンデレラストーリー)

純愛とか悲哀系列も、余り視ません。

良作があるのは知っていますが、敢えて借りる気が起きません。

更に言うなら、学生ラブコメや学生青春となると、ますます苦手です。

 

それは、勿論全く共感しないからで、

 

当然根底となった(女子高生時代の)嫌らしい陰湿なカースト故の理不尽を舐め尽くしたからではありますが、

 

別に、だから、

恨みや鬱憤を訴えたいわけではないのですよ。

 

学生時代、彼女や彼らから身体には何もされてないし、顔とか髪も。

 

物を盗まれたり、

パシられたり、

やりたくないこと(否応なしに)押し付けられたりはしましたが、

 

結局「回りの子達とは、ちょっと見た目や性格が若干違う(真面目とかオタクとか、顔が少々可愛くない程度だが。

しかし、それが大体学生のカーストの基準だ。)」

と言う

「基本的には社会では無意味」な基準で、カースト底辺の、一番下に置かれたわけですから。(底辺は底辺で、更に底辺を作るものなをんです)

 

じゃ、何が嫌な気持ちになったか?

「永遠に卒業なんて無ければ毎日最高なのに。」みたいな台詞を言う女子高生たちの作品があり(新作の案内で)、

バカ抜かすな。

卒業しろよ。

と、久々に学生時代の怒りが甦ったんですよね。もう、沸々と。

本当、今さら今頃。

学生時代に、大なり小なり格差があるってことは私は知っています。

下らない価値基準で、

何人かの尊厳を大きく貶め、卑屈にさせ、それは長い影響を及ぼします。

現代ならば、尚更でしょう。

人を多数で操って悲しませながら、責任も取らないまま、

社会に出て、

残るのはカースト上部の「良い思い出」で、

カースト底辺の人間の事は「あんな底辺の人間居たけどまだダメ人間なままかな」くらいの話題にする程度で。

自分は、特に女子高生三年目終盤は

指折り卒業までの日を数える程、学校や学生が嫌いでした。

(それは勿論自分を含め嫌いなのです。)

作中の台詞とおぼしき「ずっと卒業したくない」などと言えるのは

その女子が毎日学生時代を充実させて生きてきたのであり、

それに対して努力や積極的だったからかもしれませんが、

楽しく青春を謳歌する人間の側には影があることを自覚しているのかどうか。

と、憤りを思感じたのです。

こんな素敵なクラスや話は、日本の何処にも現実に存在も、あり得もしないのに、

こんな作品が作られてて

それで泣けるのは、せいぜい上部に居た生徒だけで。

それでどう共感出来ると言うのかと。(視るヒトを選ぶ映画だ)

簡単に言うならば、

「誰かを無視か否定した上にある楽しかった青春が、何処にでも間違いなく存在する」

と言うことです。

私のクラスの勝ち組(自称)は、常に笑ってたし、グループを率いて、それは楽しそうでしたが、(クラスマッチとかでクラスの八割でほか弁頼んでたりね)

けど別にリーダーシップは無く、

底辺には色々押し付けて、楽を享受しては、大股開いて机に座り「毎日楽しいよね」と笑って言ってました。

 

そういった女子学生たちが、やはり卒業の日にワンワン皆様と泣いているのですが、

 

何の涙か、友達と離れたくないなら一緒に就職するか

一緒に暮らせば良いと思ってました。

(それには及ばないんだけども泣くほど悲しいと言う理由が分からなかった。友情ってこれなのか、と思うと、私の学生時代には誰とも友情は成立しなかった事になるだろう。

友情は、社会人になってから、沢山得たけれど。)

 

その人たちのその後の価値は、社会の基準に変わるのだから、その後がどうなったか、幸せかは、私の知るところでは有りません。

しかし、少なくとも、この新作映画の少女たちが「永遠に卒業なんて無ければ毎日楽しい」なんて、

毎日良いように使われていた底辺の身にもなれば「毎日私が楽しいからずっと永遠に奴隷でいて」と言われたような気になり、

大変、

身勝手な事を学生は言う。

誰かの犠牲を敷いても悪気さえ感じない。大人になっても大人になれない。

と、言う感情が甦ったんですよね。

まあ、すぐ消えましたが(笑)

だって、学生時代に戻れるわけでも

やり直せるわけでも

やり直したいとも思わなかったので。

やり直したとしても、やはり私は底辺であるのは間違いないと確信してますし(笑)

 

パートナーが一緒ならともかく、パートナーは先輩(3つ)だから出会わないしなあ(笑)

 

だからって訳じゃないけど、現代っ子に合わせた恋愛邦画はますますつまらない気持ちが沸く一方なので、

不愉快に思う前に、もう期待しない感じです。

視たくなったらその時に視ます。

 

パートナーは、昔は今程は丸くなく、

無駄に達観していた節があるようです。

でも、彼女は苛められる側ではなく、

あくまで「勉強できる子、頭良い子」ポジションで、

使おうにも「どうして従う必要があるか答えて、納得しないならやらない。」と言える子だったのです。(笑)

大変賢い図書館の主だった彼女は、特に勉強で尊敬されていたのと、

親の職業が(ある程度)知れ渡っていたし、

下に弱者を絶対に作らないヒトだったので、学生時代に「結婚を前提にお付き合いしてください」とまで、慕われ、男子先輩に求婚されています。(笑)

 

私とは真逆に、羨ましい姿ですね。(笑)

(私はカースト上部のヒトを羨ましいとは欠片も思いません。哀れだとは思いますが)

だからこそ、先日の仕事が片付いた翌日、パートナーに電話してあらましを話した後、

「普通、行かせたくないとか、

社会人が社会人に言う甘えた言葉じゃないのに、

まして仕事に誠実で、逃げない貴女があんな言葉を言うなんてね」と、言うと

パートナー「だって、観てられないじゃないですか、心配じゃないですか」と

返されたので

私「私は、貴女に、

行かせたくないと言われたとき、泣きそうになった。

でも、だから腹を括れた。

心配なんか、させたくなかった、

ちゃんと乗り切ろうと言う覚悟になった。結果は案ずるより産むが易し、だったけど、

でもね、あの家族を見て改めて思った、

貴女を選べたのは私の最大の幸運。

そして、貴女が私を選んでくれて良かった。

私は貴女となら成長して生きて行ける。

貴女は私の間違いは必ず唯してくれる、私も貴女が間違ったら必ず諫める。

私は貴女の話をちゃんと聞く、

貴女も不愉快があればすぐに言って。

溜め込んで爆発しないで。

お互いで変わって行けるし、そうして変わらずに側に居られるんだよ。

これからも未来も、貴女と生きたいと

改めて思ったんだよ」と、

真面目にストレートに、話しました。

私はね、

本当に大切な相手には、何一つ飾らない。

ストレートで、照れもない。

照れとか一切必要ないから。

そうして、真面目に話し合えると、

パートナー「末長く宜しくお願いいたします(笑)

そうだよね、不満は溜めちゃいかんよね、最初に言えだよね(笑)

それにしても、.........照れます(笑)」と、笑ってました。(笑)

でも、話していた時間は、

間違いなく幸せな時間でした。(セロトニン出ましたよ!

これが多分心理効果でその後は幸運を呼んだりした)

パートナーはずっと心配してくれていただろうから、伝えなくてはと。

伝えたいことが山ほどで、まくし立てるみたいに話しましたが(笑)

 

それを考えたら、ちっぽけなせいぜい七年程度の学生期間は(小学六年から高校三年までかな。

しかし中学時代はそこそこ楽しかったかも。)

とっくに塗り込められて

目の前に怒りが現れても、

「消えちまえ」と、一言呟けば、もう消えてしまうわ。

(失くすことも忘れることも出来ないのは仕方無いから、

せいぜい思い出さないようにするだけ。

 

件の映画の案内観た時は、触発された形で、思い出したんだけど。

すぐ、忘れたし。)

大切なのは今と未来だしね。

(パートナーには過去の話も全てしています。

私には。美しい過去とは二十歳を過ぎてからが全てです。

父親が死んでからはもっと逞しくなりましたし。)

もともとヒトの顔すら忘れやすい私です。

だから、嫌なことがあっても埋めてしまえる。

でも、大切なヒトに関わることなら忘れない。

けれど、過去の美しさだけじゃ生きて行けないから、今と未来は大切なんです。

人は、関わりから変わるのだから。

 

 

最後は、母の日のバスツアーがキャンセルになった話ね。

単純に、母親が「小遣いが余り無いお出掛けはつまらない」らしく。

(ツアー代金は私持ちだけど、

小遣いとかは年金や兄に頼るしかない母親だが、

兄の仕事が激減していて、いま困窮しているようだ。)しかし、そこ(兄の困窮)は余り私には関係無いので、

「まあ、小遣い乏しいのは確かにつまらないね」と言って(ここで私が小遣いやお土産代金まで出してしまうと

洒落になら無い散財になる。

ので、それは言わなかった。)

キャンセルしたなら

母の日以降にまたどっか食事にでも出るみたいな話で終わりました。

私にもやらなきゃならない貯蓄や定期があり、それは未来に必ず必要になります。

そこを敢えて自腹を切りたいかと、自分に尋ねたら

「身の丈に合わせろ」と、出たんですよ。

 

昔の自分なら、母を優先したと間違いなく思いますが、今の私には母と同じくらいに大切な人達がいます。

 

あの。

二月の爆発した日から、私の中では母の基準が変わり始めました。

遅い反抗期が緩く始まって、

これからは多分言いたいことを言うだろうと言う度胸がついてしまいました。(笑)

 

でも、やはり

それで正しいのだと思います。

 

母親ともいつか別れるなら、

私が変わっていなければ、きっと精神的に酷く辛いだろうと、昔から(覚悟しなければと)分かっていたことです。

母親を失えば間違いなく私は酷く傷付きしばらくは立ち直れないかもしれない、

でも、

母親だけが一番大事だった10年前とはもう違うのです。

 

 

一生そのまま、時を止められる人間なんて何処にも居やしないのだから。