39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

パートナーの夢のはなし。

最近少し鬱っぽいです。

季節の変わり目は諦めてますが、大変苛つきます。情けない。

気持ちが寂しかったり不安になるとか、恐れたり怯えたりする度に、パートナーを頼るのは、

私は甘えすぎだと感じてしまいます。

(あくまでも、私のパートナーに対してです。

他の方々にはちゃんとパートナーとの距離感などがあると思いますから、

これは私の話だと流してくださいね。)

だから、今夜感じた怖さも、

パートナーに話すつもりはなかったんです。

毎晩の定期通話も「体の為の柔軟運動」について、とか、

私の誕生日のプレゼント(何が欲しいか訊かれる)や、

旅行について(来年頭は無理があるのではないか等)話をしていました。

繰り返しますが、

 

恐れや寂しさについては何一つ語っていません。

だって、パートナーにも辛いときや我慢してるときがある筈です、

けどパートナーはなかなか私には話しません。

 

私ばかりいつもいつも一方的なのは、とても弱くて

酷く自分は不甲斐ない気がするのです。

私だって、聞いてあげられるけれど、パートナーはいつも自分の事を自分で片付けてしまえます。

 

私はいつも頼ってばかりです。

 

でもパートナーは「話を最後まで聞いてくれるのが貴女を好きな点」だと言います。

 

それだけでいいのかと思いますが、彼女にはそれが善いと言われたら、

やっぱり他の点でも何か出来ないか

婚約者なら、考えてしまいませんか?(笑)

 

もう少しあと少し位私は貴女の役に立てるって、そう思うんですよ。

 

 

ちなみに今日はお仕事は互いに休みでしたから、昼間も通話してました(笑)

 

その時に

「貴女は今年は帰省出来たけど、

帰りたいならまたいつでも好きなときに帰れば良いんだよ、

 

まだこないだ帰省したばかりで、

里心があるでしょ?

帰りたいでしょ?

お父さんお兄さんお姉さんに会いたいでしょ?」と

話すと

 

パートナーははっきり

「はい」と言いました。

 

そうです。

 

そうだと思います。

また、帰らせてあげたいと、私も願っています。

 

やれることなら私は惜しまない、特にパートナーに関しては何も惜しまない。

全力で支えて実家に帰らせてやる。

 

私にはそれが出来ます。

 

親とは、大切なものです。

何が無くとも親と言う存在は、子供には無意識に離れがたいもの。

勿論距離の意味ではなく、常に心に在るんですよ。

それが好きでも嫌いでも、切り離せない。

私の親も、毒でも薬でも結局心に楔のように穿たれています。

 

良いとか悪いとかじゃないんです。

 

自分を作った存在はもうずっと心とか魂とかそんなものに刻まれ、切り離せないものなんです。

 

一時的に忘れることは簡単でも、

 

「思い出さない」と言う選択ならば出来ますが、完全に忘れることは出来ません。

 

夜は夜で、自分の不安や葛藤はともかく横に退けて

和んだ話をして切り上げようと電話口で話して、

電話の最後にパートナーに

 

「貴女は?なにか楽しい話はある?」と、ふと告げました。

すると、

 

「夢にお母さんが出てきたよ」

 

と、言うのです。

彼女のお母様はもう鬼籍ですが、あのときのパートナーの落ち込みを私は絶対に忘れることは出来ません。

 

私は彼女に

「彼岸ではないのに、来てくれたんだ?

昼間に帰省の話をしたからかな」と、

話したあとに、

 

ふと

「大変失礼しますが、お母様はいつの日に鬼籍に入られた?」

「⚫月⚫日です」

「今日は⚫日だよ(違う月同じ日付)」

「.....あ、月命日!」

「お母様は貴女に何か話した?」

 

「お帰りなさいって。」

 

私「良かったじゃないか、わざわざ会いに来たんだよ、素敵なお母様じゃないか。

とても、いい話を聞いた。

 

私は実は今夜も本当は少し気持ちが不安だったんですよ。

でも、

 

「いい話が聞けたから、もう、大丈夫だ。

本当に素晴らしいお母様だね。

良かったね。

会えて良かったね。

本当に私が嬉しくて涙が出そうだ。

今夜はその優しさだけを懐に包んで

幸せのまま眠りなさい。」

私は

本当に泣けてしまい、

パートナーは幸せそうな中電話を切った後

 

(パートナーからは、何度も、

ありがとう、嬉しい、幸せだと、

感謝されました。

 

私に感謝することではないだろうに。

 

そんなパートナーだから惚れたのだけれど。)

電話を切ったら、私は泣き出してしまいました。

余りにも尊い話だったから。

あの人の親だからこそ現れた奇跡は、実に尊い

彼女の心に大きく刻まれ支えるだろう。

これは私にも出来ない領分です。

彼女だからこそ、その奇跡は訪れたのだと思うし、

そのお母様の偉大さに、涙が止まらなかったです。

 

そして、私にも不思議なことに恩恵は降り注ぎ、

私の不安は払拭されたのでした。

 

 

ああ、

これは親友や母に明日話そうと、

私の心にも刻まれました。

 

私にも彼岸や命日が近づくと父親やばあちゃんが必ず夢に現れるのですが、

 

ばあちゃんはいつも優しく笑顔でした。

 

父親は、なにかと食べ物ばかりを要求する、だけ。(成仏してください)

 

鬼籍に入れば聖人になる訳ではない。

死んだ人はやはり生前と変わらない。

 

だから、生きている人間とは人生の課程で心も気持ちも性格も歩む軌跡すらも、

努力して豊かになるように生きて励まなくてはならないのだと思います。

その、一番記憶に刻まれるだろう努力している課程の姿で、

私もいつか誰かの夢に現れてあげられるように。

 

親父は残念な姿でしか毎回夢に現れないけれど、(いい加減に無念ばかりを私にばかり訴えないでほしい)

 

ばあちゃんは、いつも達者なままです。

 

私にはばあちゃんが祝福をくれているので大概の大禍からは免れています。

 

私はそれに自覚があるから、それに恥じない生き方を心がけています。

それがばあちゃんに対する恩返しだから。

 

久々に、悲しくない涙が出た。

人は泣いて良い。

それが嬉しい涙感動の涙なら幾らでも。

 

 

パートナーは、今日も精力的に仕事を頑張っているだろう。

 

私も、明日は一層頑張るつもりで居ます。