39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

親友二人で実になる話を焼き肉食べながら。

朝方頭痛がまだ続いていて、お世辞にも気分は良くありませんでした。

やはり1日整体掛かれば翌日は完治してるとかなら整体師はもう必要無いよね(泣)

私も委ねすぎ望みすぎでした。とは言え、ズキズキ頭痛がどんより頭痛に切り替わり、

イラつきは五割は減りましたよ。それだけでもましでしたが、それでも頭痛薬を使わずには居られなかったのは、

親友Rの帰省当日であり、二人で三年振りに今夜は焼き肉だったから。

イラついたり、相手に向かい合えないのは嫌でしたから。

目を見て話したい相手がたくさん居るけど、親友やパートナーは絶対です。

せめて、今夜くらい胸と心を全開にして全ての気持ちを話したかった。

 

ずっと記してるけど、

もう私には地元には友達は居ない。

知人も、縁を切ったつもりだし。

親友もパートナーも皆遠方。

 

そんな大切なヒトのためなら、使いたくない薬(市販薬だが)も使うし(かなり胃が悪くなったからしばらく飲まなかった)、

時間や店や予算も選んで予約して、この日を楽しみにしてきた。

↑前に、一人焼き肉(パートナーからのご褒美で)に来た店。

内装も二人用の個室も見事なお店。

親友R、無茶苦茶気に入る。

ふふふ( ´∀`)

 

二人で二人前盛や、石焼ビビンバや、サラダと、ノンアルコールカクテルとデザートまで。

二時間半ほども長居しました(笑)

こんな長居は始めてでしたよ(笑)

お店の方々長居してごめんなさい。

三年目の一度だけ許してください!

 

同窓会とは感じがまた違うんだよね。

ひたすら、互いの話を交換し意見を交わし合い、

良いことは取り入れる。

感じることはただもう、この親友の偉大さだが、

私は彼女に壁を感じるのを辞めた(数ヶ月前に)彼女には彼女の事情や努力があり、

理想があり、

夢がある。

いまだにそれに向かって飽くなき努力を怠らない、

足を止めない彼女は私の希望でもある。

そして彼女は、恐らく夢を叶えるのが私には分かる。

イメージ出来るのだ。

 

まあ、それはそれとして。

話の一部を挙げよう。

 

「人はヒトの話なんか聞いてないわよ、ただ自分の話をしてるだけ。

だから皆でランチして話しても、

食べてるだけで身になる話なんかにならないわよ、誰も聞いてないんだもん。

話したからスッキリしてるけど、相手はほとんどの聞き流してるわ」

「子供を見たら大抵の親の中身は丸見え、ママ友が絶対必要とは思わない」

「子供には母と父の血が入っているの。

自分のみを(の、育て方、生むことへの恐ろしさを)責める必要はないのよね、

良い点も悪い点もあるのが当たり前」

「考えること、悩んで切り開くのは凄い前進だけど、それをウザイと切り捨てるヒトが実際は大半

誰かと膝を割り会話が出来ないヒトが増えているので、ますますこれからは自らが最も正しいと個人が思い始める。

だから、親友は失ってはならない」

「昔は金持ちだった子供の何割かは今現在不幸になっている(私の同級生たちの話)」

「話す会話や生活の形、仕事や家庭などが変化すれば、変化を望まない知人は去って行くもの、

追いかけても、向こうから去って行く」

「ヒトは相対して、無い部分を補い合いながら補填してでっかくなる。

難関や壁は次から次へと来るし、終わりはない、

でも挑まなきゃ切り開けない。その為に誰か相手が必要。」

「好きなヒトも年中ずっと隣に居続ければ空気。離れているからこそ得られている大切なものがある。

離れていることが辛いだけとは言わない。

離れているから感じられることがある。

旦那は今や空気(笑)しかし、一生一緒に生きようと決めている(私もだ)」

これらは、全て納得が行く。

私はその他にも色々話をして、色々話を聞いた。

どれも、面白い。

どれも胸に落ちる。

 

で、最大の悩みである、

「私は私を愛せない。

パートナーが私を愛してくれているのは最大の幸福だけど、

自分を好きじゃないのは変わらない。

自分を愛せたと、どうしたら思える?

また、自分を愛せない感じる瞬間や、その形は?」

 

これは若干時間がかかりました。

何せ私が頑なだから。

 

「自分を愛せたイメージ湧かない?」

「イメージ出来ない」

「じゃあ、頑張った自分は?」

「それは感じられる、でもすぐプラマイゼロにしてしまう」

「パートナーを愛してる?」

「一生絶対出会える筈がない人に出会ったと思ってる。

一緒に生きようと言われて、一生ずっと生きようと思った。

奇跡と愛情の塊だ。

考えるだけで涙が出る。けれど今は私は私が支えなければと思った。」

 

パートナーの話をする私は、饒舌だったと思う。

躊躇いもてらいも、迷いもない。

 

「そんな、世界で一番尊く優しく失えない程の素晴らしい相手が、

誰でもない貴女を選んだ。

そんな貴女は幸せではないの?

そんな素晴らしいヒトが選んだ貴女を貴女自身は、彼女が選ぶほどに素晴らしい人間なのだと思えないの?」

 

これには、参りました。

 

それでも、堅すぎる私の呪いは、僅かに揺らいだ気がした。

 

 

彼女は、もっと話したいと言ってくれたのでギリギリまで長居していたけど、それからは帰路を歩いて二人で多彩な話をする。

彼女の旦那さん

子供たち(うち一人はアスペルガーだったのだが、今や日常学校すら一切問題なし)、姪や甥っ子。

そして、親と自分。

勿論、私が自殺した話や経過や理由も含め。

 

彼女は昔、やはり「親の言葉」の呪縛に掛かっていたが、

社会人になり、そんな言葉は出鱈目だと、自覚し

怒りを抱き、父親に怒鳴り

謝罪させたらしい。強者だ。(笑)

しかし、残酷なものです。

父親が返した言葉は

「そんなに深く考えていなかった」

らしい。

本当に、昭和の糞親父ふざけるなですわ。(勿論うちの糞親父を重ねてるのよ)

 

その後、LAWSONでカフェラテを購入し、セルフでラテを作るとき、彼女が、

「ごめん、私コンビニで淹れるコーヒーとか購入したこと無いの」と、言われたときに、

何処までも倹約しなければ生きて生活出来なかった彼女の四半世紀を想った。

本当に、苦労したのを私は聞いているけど、

事実はもっとしんどかっただろう。

私には一切金の無心や借金さえ言い出さなかった。

私たちは歩きながらカフェラテを飲んで、私はそのまま彼女を自宅まで送り届け、自宅まで歩き、

 

帰宅してランニングマシンで、ただ走った。

いろんな言葉が、身に染みて、思い起こされ、

私の知らなかった同級生たちの話題も知れた。

 

余りにも充実し、満たされ、そして、互いの苦悩や、

その三倍の幸せを確かに今噛み締めながらも、

忘れられないことが、苦い淀みが、間違いなくお互いにあった。

 

あったから、私たちは再会してから離れることはなかったのだ。

 

私たちはやはり似ていた。

 

 

 

そんな彼女が二日もすれば、再び、家庭のある自分の家に帰ってしまうのだなあと思うと。

 

やはり、

 

とても寂しくなっていた。