相変わらず毎度の、軽いジャブから始めましょうか(笑)
思わぬところで、昨夜うっかりムービーチャンネルを入れてみたら、
まさかの最も見たかったり作品の、最も見たかったシーンが観れるとは!(泣)
飛び付くように貪り観ました(笑)
泣きましたね!!
そして、もう共感が溢れて止まらなかったですね。(泣)
愛さなければ殺人を犯さなかった。
けれど殺人を犯すほど人を愛せた。
勿論殺人は赦されません、
しかし、自分に絶望している人間が人を愛せたなら、どれだけ素晴らしいことかと、やはり思います。気持ちはどれ程救われることかと。
そして、容疑者の愛した人もまた、決して無神経でも無関心を貫けるような人間では無かった。
自分たちの為に、殺人を犯しアリバイを作り、わざわざ自らを恩着せがましいストーカーにして演じて、自分たちが彼(容疑者)を嫌わせる準備までしています。
自分が再婚するだろう相手すらきちんと吟味し保証までしました。
そうすれば必ず彼女たち親子は幸せになれるから。
勿論この幸せの中に彼(容疑者)は含まれません。
けれど、そこまで深く自分を思ってくれていた彼を、彼女たち親子が何とも思わず幸せになれる筈はないのですね。
多分、そんな性格だからこそ彼は彼女たちを愛したのだと思います。最初から分かっていた筈なのに。
容疑者に誤算があるなら、自分も罪を償うと、本当の犯人が名乗り出た事ですね。
それだけ心が綺麗な親子だからこそ愛したのに、そんな親子だからこそ名乗り出てくるとは考えなかった。
ただ、自分の献身こそがあり、彼女たち親子が幸せになるなら自分を厭わない純粋な気持ちだけだった。
だからこそ、大の男が大声を上げて泣き出してしまった。
本当に好きな作品です。
しかしやはり最初から観たいですね(笑)
年内に借りて観れたら良いなとは思います。(最早買うべきかを悩んでます(泣))
では、本題ですね(笑)昨夜不意にパートナーと話したときの会話ですよ。
私「私も明日仕事ー、辛いな」
パートナー「うん、しんどいなあー」私「辛い、じゃなくて?辛くはないの?」
パートナー「辛くはない、かなあ。
しんどいとか、疲れたとか、キツいなあとかは思うけど、
基本はしんどい、かなあ。」
私「でも、辛抱って辛いを抱くと書くでしょ?それは辛いと言うこととは違うの?」
パートナー「辛いって、痛みを感じてる気がしますけど、
しんどいって、長くそんな状態だなあ、みたいな感じですね。
痛みに耐えるのとは別に、痛みじゃなくて疲れの延長みたいな。」
なるほど、しんどいって言葉はよく使われてるけど、確かに疲れたイメージだわ。
それも、草臥れてるイメージ。つまり、それくらい長く疲れてる(働いてる以上は期間は長いだろう)感じでしょうか?
では、私がよく「辛い」と口に出してしまうのは何故なんでしょう?
辛いとしんどいは、結構差が有るのでは?と複雑な気持ちになり、いてもたっても居られない性格の私は、勿論検索してみました(笑)
でも、この段階で私思ったんですよね。
国語辞典を買うべきじゃないか?(笑)と。
だって私、毎月やたら言葉を検索してるんですが無駄にスマホ使いすぎじゃないかと(笑)
辞典て高いけども!(笑)
しかし、毎々スマホ検索する度に凄く本来必要無いギガを無駄に使ってる気がして。
あと、紙媒体大事にしたいなとか。
結局のところ、
辛いのは「痛みや苦痛を耐えている」であり、しんどいとはかなり違います。
しんどいは辛抱の派生に近く「辛さを抱いて前に進む、より良くなるために」みたいな意味になるようです。
かなりポジティブな意味合いです。羨ましい!
因みに、これが、我慢になると。
短期的に苦しさ辛さを堪えているが、
「早く解放されたい」「楽になりたい」と言うネガティブさがある。
と、なるそうです。刺さりますね(泣)
しかし、現代では辛抱と言う言葉より、我慢と言う言葉の方が頻繁活用されてるんですよね。
時代の問題でもあるでしょうね。昔は結構「辛抱してこそ勝ち取る」意識が強かったと思います。
辛抱した先に必ずより良くなる何かがあ(筈)だから、
どんなことでも辛抱辛抱と言った時期はあり、
我慢我慢と言い始めたのは割とここ数十年であると思います。
私も辛抱というよりは我慢を叩き込まれた方でした。
パートナーのしんどいが、辛抱に直結しているのなら、より良くなるように頑張ろうとする彼女は美しいし、
言葉を間違えない意味で惚れ直します。(笑)
私は、やはり短期的に我慢して爆発するネガティブさが間違いなく有るのだと思います。
早く楽になりたいとは、私の場合自分の気持ちが落ち着かずには居られないのでしょう。
最近は我慢を辞めると言うよりは、
諦めを覚え、
諦めではなく「期待するのをやめる」と、切り替えに切り替えを繰り返し落ち着いていますが、
爆発せずに済むならその方が良いと思った結果です。
善し悪しはまだ分かりませんが、それでもだいぶ重いものは下ろせた気がしてます。そして、
最も重要だった「辛い」とは、何なんだろうかと思うのですが、
単純に季節の変わり目や、薬の配分の悪さに、体や精神が少々揺らいで追い詰められているのかと思いました。
痛みや苦痛を耐えている、と言うならば 確かに今感じている頭痛や体に起こる緊迫感や、ため息を吐く度に「辛いな」とは口にでないでしょう。
残念なことにはっきり目に見える悪さではないから、母の前で口にすると母は分かりやすいくらい嫌な顔をするか、逃げますが(笑)
誰でも辛いんだと言いたそうだなあ、とか思いますが、
精神の苦痛や、そこから併発する異様な緊張感や息が上がる事を、「誰にでも」と思われてはやはり心外です。
私は果たして何のために心療内科に通っているのでしょうか。
それとも「それは医者にしか分からないから」と、何時ものように言うのでしょうか。
純粋に、体や精神に苦痛を感じているから「辛いな」と言うのは、
仕事の前にプレッシャーを感じたときに起こりやすい物なのです。
これが休み続きなら、毎日毎日「辛い」等とは言い続けないでしょう。
聞く方も嫌なのは良く分かってますし。
さりとて、「辛いな」を「しんどいな」と言い換えても、根底が変わらない以上は、やはり、辛いと言うしか無いんですよ。
辛いのに、言葉を誤魔化せば楽になれますか?なりませんよ。
結局相対すべきは、精神の苦痛であり肉体の不自由ですよ。
緊張が苦痛と言うなら、確かに薬を増やせば簡潔ですが、
素のままに近い自分に向き合うと決めたのだから、この苦痛と向き合うのはいずれ避けられない事だったでしょう。
あとは、薬と更に向かい合うかどうかを自分で決めるだけです。
幸い、ランニングはじめてからは、走り終わると微量に幸福物質出るんですよ、
本当に微量だし、短い時間ですが。
これを有効に使わない手は無いでしょう。(悲しいかな真夏にはランニングマシン使えないんで今だけですが)
精神の辛さを肉体で回復させる時かと思います。
同時に、美味しいものを食べやすくもなるでしょう。(笑)走るんだからカロリー減るしお腹も空きやすい季節ですから、
秋をエンジョイして、
スポーツの秋、味覚の秋、考え事、思考の秋にしたいですね。(笑)
読書とか、芸術とかも欲しいんですけど、今は手が延びないみたいだから、それはまたいずれかなあ。ちょっと寂しい。
まあ、センチメンタルな秋も嫌でも満喫してると思います。
↑勿論、ハロウィンな秋も満喫するよー!
それは、出来れば成功させたいんだよね。それくらい、やり遂げたいんですよ。
今の私には、出来ることは限られてるから。
よっし、明日も走るぞ〰️!
あと、辞典については本当に考えよう(笑)