毎日ブログをつけられること自体善いことなのだけれど。(当初ネタは余り少ないしネガティブだし、無理かなって。
引き出しから過去をほじくり返してましたが(笑))
当時が、無職で。(一年半くらい)
婚約してるパートナーは居るけど遠距離で、パートナーは女性で。
私はパートナーや親友に庇護されていて、(金銭、物資など。
少なくとも毎日生きて行けたし、ランチやお茶には行けるくらいは)
私は心療内科に掛かるれっきとした病名がある三十路からのメンヘラで、
薬からの肥満体からのダイエッターで。
その過程だったんですよ。
過去の話、今の話、
薬を飲みながらも減薬して、薬を飲んでなかった頃の私になりたった私。
それを記したかったんです。
でも、完全には戻れないし、薬が無くては多分私は生きて行けない。
多分苦痛が多くて、生きて行くのは何事も苦痛になれば動けなくなる。
安全な家からほとんど出ないし、
働くのを諦める。
それが、絶対的に嫌だった。
ブログをやろうとしたのは、その、薬を減らす自分への愛情な過程や
苦しみを理解してくれる、
一部でも共感性がある人を探していたのだと思う。
地元で、自分の目だけでは探せないから、文字にしようと思ったんでしょうね。
パートナーや親友や恩師の目の前であるとき、自分の愛せる自分になれているか、
自分を愛せているか。
甚だ未だに疑問のままです。
それでも、彼女らの前の私は素直になれています。
嘘偽りを申さないのは、全てを明らかにしている相手にだけ。
信用する相手にだけは私は本気を出します。
それは自分を信じてやっていることです。
これが愛情かは分かりません。
しかし、相手がそう取ってくれるなら、
私は「そう言ってくれる(私を親友に選んだ)、相手を信じる」ことにしました。
(パートナーも恩師も親友も遠距離に居て、出会いがあり過程を知っているから全ては受け入れられていますが、
そんな過程があるからこそ、私は地元ではぼっちです。
地元には気が合う人は居ない。嬉しい出会いはいくつかあるけど(同性のね)、こんな年齢ともなれば警戒します。
同じ病気、同じ共感性であったとしても、
依存し合わないのを前提にすれば、なかなか同じ視線や考え方の人間にはなかなか出会えないものです。
年を取れば尚更ですね(笑))
変わり者のメンヘラで、地元お一人様で、半分オタクで昔は同人誌とか描いてて(笑)
でも、じきに人生百年の半分になるなら、
振り返りながら恥を書いてみようかという気持ちに突然ですね(笑)
しかし、昔は軽くやれたブログも、今はなかなか難しく(スマホ操作がね笑い)
始めたら意外にギガ使ってて、ヤバイよ!とか思いました(笑)
毎日、嬉しかったことを書けるのが良いのですが
毎日だとなかなか難しい(笑)
でも、良かったことを書くならあるでしょう。
前の前の記事に記しましたが、今の私は薬の副作用が顕著です。
勿論正式に善い作用も現れてますが
本当に、割りに合いません。 (泣)
そんな膜に包まれたような気持ちの最中で出来ることをしていますが、(多分今が一番やりたいことをやれるときなのです、
それに、長くは続かない)
副作用には抗えると思えました。
つまり副作用は働いてますが、一時期のことですから、この間を理性との戦いになるのですが、
私は勝ち続ける気はしないのですが、負けるつもりもないのです。
やりたいことが、今だけにしか出来ないなら、多分この不毛な勝ち負けも今しかやれないことです。
勝てば喜び負ければ凹むかもしれませんが、
私の薬の作用は、ダメージも半減出来ます。
副作用に抗えた結果が出たら、鬼滅の映画を観に行き、バレンタインをがっつり楽しみ、
桜の祭りに行き買い食いをします(笑)
外出を億劫に感じていた年始に比べたら、今は何処にでも行けるでしょう。(年末は時期に急かされてやり過ぎただけ)長くは持ちません。
だから今だけ。
今しか出来ないなら、
やるしかないじゃないですか(笑)
春らしくスプリングコート着て可愛い服を着て、練り歩いて、散歩して。
好きなメニューを作りますよ(笑)
こうして、記録して行く場所があるのは、きっといいこと何でしょうね。(打つの大変なんだけど(笑))
先日記した仕事のその後や、
お題の「ほろ苦い思い出」については、また近々(笑)
1日で起きた「良かったこと」を記したかったんだけど、
1日の、じゃ、なくなりました(笑)
そうだなあ、
すれ違いで挨拶が笑顔で出来たから、それが今日の良いことかな。
あとは
店長が「だから、●●ちゃん(私)が居てくれなきゃダメなんだよ」と、
言ったことかな。
私は、チョロいんだよ(笑)