39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

屑には屑の使い途が。

タイトルはわかる人はわかる「ダンジョンメジャー」からになります(笑)

さて、少しネガティブな話と、なぜこのタイトルなのかを。

 

先日の記事にも、薬については記しました。

私の脳はドーパミンセロトニンなどの幸福物質が出にくくなっています。

ある日を境に、と言うか

多分トドメを食らった日から

人と接することを苦痛に感じ、震えや、哀しみが止まらなくなり、あらゆる不安が妄想され眠れなくなりました。

朝起きたとたんに不安に襲われ

拒絶しながら日中は(仕事以外は)引きこもり(しかし、仕事に支障が出始めていた)

不安に疲れて夜は泥みたいに寝てました。

 

安らぎと言うのは寝ていて夢も見ない短時間のみで、後はひたすら、仕事以外からは逃げていました。

その当時に祖母が亡くなり

当時父親の理不尽な態度やDVに

母と耐えていた私は、

二人して経済的な痛手と、心の痛手を負いました。(祖母は私たちをかなり援助してくれていました)

 

私は、私にトドメを刺した言葉を忘れていません。

刺した人も忘れません。

しかし、同時に、

今その人が幸せであるとは確信しません。

その人のことは大抵忘れていられます。

今は頭の隅でたまに思い出す程度になりました。

 

 

さて、いつもの前振りはここまでにしますね(笑)

 

先日、ダンジョン飯最終巻を読みました。(全巻、発売の最初から読んでます)

私はダンジョン飯で泣いたのは2回とかくらいですが(今はアニメ化されてますからネタバレはしません(笑))

最終巻の野菜屑についての下りと、シスルの下りでは意味は別々に泣きました。

 

私は、もう薬を飲まなきゃ生きては行けません。

生活すら出来ないです。

仕事して、生計を立て、人と付き合い生きて行くために

決して身体に良くない物を毎日取り込んで生きています。

先日からは筋肉弛緩剤すら飲んでます。

 

病名を先生からつけられたときに、

「普通のヒトとはもう違う」と思いましたし、大袈裟でも間違いでも無いと思いました。

卑屈かと?

卑屈になる病気でもあるのですよ。(笑)

 

でも、その時に

結婚は諦めよう、子供も諦めよう

一人で生きよう

理解できるヒト以外とは決して病気の話はするまいと決めました。

 

その後、

自分は献血すら出来ないと知りました。薬の作用故です。

 

薬を飲んでも尚

なんで、一つも取り柄も無ければ、人様の役にも立てないのかと嘆いていました。

 

結局増薬して、これらのネガティブを振り切りブクブクに副作用で太りましたが(笑)薬無しでは生きられないのも変わらない。

見た目は醜く、前向きに捉えようにも目の前に現実は有るわけです。

 

何にもすがらない状況に最低限戻らなければ、

私の心もまた薬から作られた前向きさなのだと、

 

その当時には私はパートナーに出会ってましたから(パートナーとは服薬を始めた3年後に知り合っているが、旅行など出会いをしたのは5年は経過していた)、

私の心も作り物だと話しました。

服薬の過程での恐ろしさなどを和らげたのはパートナーであり、

私の自殺を止めた(命を助けた)のもパートナーでした。

パートナーは私の目まぐるしい薬との付き合いの過程を一緒に歩んでくれたのです。

勿論、減薬することで私のネガティブが目覚め、酷く付き合いにくくなるとも話しました。

面倒な私に戻るだろうとも。

 

私は私をキズつけたトドメの言葉を忘れていません。

「皆、貴女を嫌いよ。

●●さんに聞いてみたら?

絶対嫌いと言うから。」

居るんだよね、こんな言葉を言う女性は。

 

だから、私は私に戻るのを恐れてましたよ。

もう、本当に。

役に立てずに小さくなり、泥になり、卑屈に生きて行くのは苦痛ですよ。

身体は思う通りにならない上に、人格が傷つけられた末にもう治せず(アクシデントで傷ついてしまった脳の神経は戻せない。薬で補うしか)

病気になったら、もうこれ以上私は何の役に立つのかと。

生きるのが辛いと思ってましたが、

無痛だと割り切るのが良いのだと考えてからはそうしてました。

 

まあ、間は色々ありましたが、

あまりにネガティブなので割愛するとして。(笑)

 

パートナーに「ダンジョン飯の野菜屑のあたりで泣いた」と話すと

パートナー「私も泣きました(笑)」と言いました。

多分、状況は違えても、

私達は昔心無い言葉に深く傷付いてから、

這って歯を食い縛った(上で、現状を築いた)経験があるのです。

そうでなくては惹かれて居ないのです。(パートナーの過去に受けた言葉もまた、酷いものでした。)

いい年齢に達して、取り戻したいものは過去の幸福の追求で、

それは永遠に手に入らないのだともう分かっているからこそ、自分に使い途があるのかとは歳を経る度に考えることです。

自分に今何が出来るかと。

だから、私は自分が出来ることは全力でやるのですが。(だからすぐ潰れる(笑))

今は、こんな自分でもやれることは有るのだと知っているし、

自分の中身が変わる過程で、

自分が自分で選んで付き合って培った交友と、(過去に関係してるのは今や恩師だけ)

互いに決めたパートナーがいるなら、

もう、人からせめて直接的に嫌われない道を歩けるだろうかと、

朧気には思えます。

 

パートナーが居てくれるから支えられて歩けることを幸せだと思っています。

 

昔、まるで気休めに「人には必ずひとつは使命がある」と言われましたが

 

私は実は全く信じてません(笑)

聞いたときも「それは無いね」と、肩透かしを喰らった気分でした。

 

敢えて私が思うなら

 

「人は何らかは考えたり動作したり出来るんだから、やれることはやりたいならやってみたらいい」

でしょうか。

責任とか、選択とか結果は勿論自己責任にしても

生きてるなら、自分を使わなくては。

 

私は薬を飲んでも長生きか、すぐに死ぬかは分からないし(延命措置は拒否し、臓器提供意思表示はしてますが)、

パートナーを看取るかも知れません。

 

でも、

動けるうちは、やれることをします。

 

結婚は、お陰さまで出来そうなので(笑)

 

 

 

最後の毒ですが(笑)

私にトドメを刺した人は、痩せたい痩せたいと、

当時の痩せこけた私を僻んでましたが(心理的苦痛や家庭問題で太れなかっただけ)

彼女は令嬢で(美人)高いものを好きなときに好き勝手に食べてましたから、

現在は余計なものをくっ付けて歳を経ているとは思いますね。

あと、恐らく結婚出産も無いかと。

 

何故言い切れるか?

 

御しがたい性格と、汚部屋の住人でしたからね。小言も一時間は言うインテリでしたが、あんな攻撃、正論でも(正論だからたちが悪かった)男性はもたないですよ。

 

風の噂すら聞こえない。

 

それほどに離れてしまっているなら、もう根っこから髪の毛の先まで、

なにも共通するものは無いのでしょう。

 

 

私は、使い途がある人であるなら、

 

 

それはやはりいいこと、です。(笑)

 

(ミスルンが笑ったときは大泣きしました。

私には強く共感できたからです。)