39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

申し訳無さを知る人。

今夜も、パートナーとは普通に楽しい話とかしてました。

翔んで埼玉2公式キャンペーンの中間報告の話とか(笑)

なんか、うちの県の映画館のキャッチコピーの順位がですね?

なんかね!?(笑)

みたいな話とか(笑)

やはり田舎の自虐は田舎だからこそだよね(笑)

結果出たら知りたいなあ!?(笑)

 

結構映画の感想の幅はあれこれありますが、私は気にせず観に行きますよー。(笑)

 

いや、別に作中で弄られてないとかは関係なく(笑)

大体弄られるには微妙な県ですし(笑)

弄られてもそれこそ微妙な感想しか出なさそうだし(笑)

 

さて、本題でしょうか。

 

少し前の記事に「どうして、不自由な人が謝るのだろう」と、記した気がします。

優しい人や、思い遣りや申し訳無さを知る人ほど、必要以上に謝る。

けれども別にもあって、負い目を感じやすい人もまた、よく謝る。

 

本日も、ただ私は通勤の為に自転車を漕いでいたのですが、

目の前からこちらに曲がってくる自転車が見えてました。

しかし、自転車の方は(高齢の女性)なかなかハンドルを切れなくてフラフラしながらも何とか曲がりきりました。

別に私にぶつかったとか、私に何かした訳ではありません。

それでも、私にぶつかりそうになったかも、

と言う位に過ぎなかったのに、

「ごめんなさい」と私に言うのです。

咄嗟過ぎて、「いいえ」としか言えなかったんですが、(本当に咄嗟だったし、もっと上手く言えた筈なのに)

そもそも、謝らなくていいんだよ!

悪いことなんか何もしてないのに!

謝らないで下さい、こちらの方が酷く辛くなる。

不自由な負い目を「悪いこと」だなんて思わないで下さい。

ハンドル切りにくいとか、見れば高齢者だと分かるんだから当たり前だし、

彼女の自転車も型が古かったし。

でも、別にぶつかってない。

申し訳無いみたいに、凄く気を遣って生きてるのがわかってしまう。

ひたすら謝る人は少しだけ自分や

生き方に自信が足りないのを私は知っています。

病気で人に心配やお世話をかけていたり、何でもが自らのせいだと責め勝ちな人は、

申し訳無さを顕に「ごめんなさい」と言います。

極端な話ですが、高齢者で体の弱い人や

社会的にひっそり生きている方

(極端なのは真逆の方がいると言う意味)の口から謝られる度、

私の方こそが申し訳無さを感じるのは、

同じく自分も、自らに自信を持てない、そして社会的にもお世辞にも強者では無い方だからだと思っています。

(私が優しいかどうかは別ですが。私が優しい人間とか判断するのは、私ではないと思いますし)

薬に維持されながら生きていて、支えがなければ酷く塞ぎこむ弱さが。

最近顕著なのは、仕事に対して卑屈な姿勢になっていると感じるからです。

丁寧にやろうとすると、礼儀正しくではなく、ひたすら卑屈に頭を下げているだけのような気がしているのです。

それは接客の姿勢ではなく、自信の無さが卑屈な形で無駄なくらいに頭を下げすぎているだけなのです。

つまり、まだ胸を張れるほど立派な接客を掴めていなくて、

とりあえず形からでひたすら丁寧に頭を下げたり丁寧語を使ったりしているのです。

やはり、

 

仕事には壁や試練が生じます。

 

しかし、解決するように努力する気はあるから、長い目で改めて行くつもりです。

ずっと、ただ謝っている(頭を下げて、申し訳無さを感じる)のは、私自身がどんどん卑屈になり、終には僅かな自信すら失いそうだから。

それは、駄目なんです。

自らを貶めて卑屈な姿勢にだけはなってはいけない。

それこそ、自虐になるからです。(別に冒頭の話が、翔んで埼玉だから自虐的ネタとかではないですよ(笑)いえ、本当に!)

自虐なんて

誰からも誉められないし、誰も慰めてなんかくれないですよ。

強かに生きようと足掻いても、結局下らないことに傷ついては、不安や哀しさや惨めさを抱えてしまう。

私はこれの繰り返しですが、確かに勝ち取る自信があるのも知っているから、(憂いもあれば喜びもあると言うことね。)

 

「ごめんなさい」と「申し訳ありません」を言うのは必要な時だけにしたい。

真面目な前振りはここまで(笑)

最近多感が過ぎてストレスにもなっています。

共感性が悪いとは思わないけれど、過ぎれば毒。

楽しい気持ちに共感出来れば良いのに、私の場合は「辛い、苦しい、悲しい」気持ちにばかり共感してしまう。

勿論私が、それらの負の感情が人一番重いからなんですけど。

 

誰かが私に謝る時に「謝らないでほしい」と思うのは、

本当は、

私が私に対して

「謝ってばかりじゃダメだ、何でも簡単に必要以上に謝るな!私!」と、思っているのです。(怒っているのです。)

謝れば素直な訳ではないし、(素直に謝れるのは美徳だけど)謝り癖は自分を自分で卑屈にさせるだけだから、

項垂れるよりも、辛いときこそ胸を張っていた方が、

不当に回りからも弄られるような態度にはならずに済みます。

(嫌なことだけど、

苛められる人には苛められやすい理由があるとか何とか←本当に好きじゃない理屈ですが、何割かは当たってるんですよ(泣))

 

明日は、今日より人の顔を見よう。見て、笑い掛けて笑顔をやろう。

頭を下げて何も誰も観ないのは凄く楽だけど、

 

私は今は笑顔が見たい。

↑寒くなったからヒーター出したら、

猫(梅)が丸くなりました(´▽`*)

動きません(笑)

 

特に点いてなくても、ヒーターの前にいたりします(笑)