39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

泣いても構わないの。

テレビアニメスラムダンク。いよいよ綾南戦に決着となり、二話ぶん放送の為、ラストの一番の良いシーンをまるっと観れて、予想通りの大泣きです。親友Sはスラムダンクを知らないのですがら(珍しい!)、過大も過小な評価をされさることもなくても、読めばとにかく面白い、バスケ知らなくても読める、理解する。人間関係やらキャラクターの個性や物語が面白い!などと、やはり高校時代の連載中を読んできた私には熱い作品で、語りにも熱が入りますが、無理に読ませようとは思いません。こと、スラムダンクに関しては、そう思います。なんか、私が説明して無駄に一人だけ熱くなり、相手を覚めさせたら、作品自体から遠退かれる気がして。

知人がやりかねるのがそれで、

お陰で、好きだった銀魂が。

もう話を聞くだけで苦手になりつつあります。

知人は銀魂好きで声優陣推しが強く、一旦はまると独壇場です。

 

ちなみに私は彼女より遥か前から銀魂をコミック集めるほど好きでしたが、一定期に来て卒業し、

見守るくらいでした。

が、ひょんな事から彼女が銀魂にはまり

そこからのトークや、独断偏見、他のアニメと比較しディスる(特に鬼滅等に対しては未だに酷い)などが始まると、彼女の語るものに対してさえ覚めた気分になってしまったのです。私も好きなもの好きなアニメがありますが、行き過ぎて退かれないかと考えながら距離を測り、

好きの連呼と主張の激しさ、作品の比較や、優劣についてなど語るのは不毛だと心掛けているつもりです。

ここはブログだから、好きなものについては書きますが、嫌いがあったにしてもディスって何かを優位に立たせる記事は書かないでいるつもりです。

苦手なものは苦手なだけ。

小暮の、バスケを始めた動機にせよバスケを好きだと感じて高校でも続けると決めたのも、誰しもがわかる心理だと思います。

何かを始める動機は人により違いますが、小暮は辛くなり「辞めようと思ったことは?」と赤木に同情心を求めるような弱味をみせますが、赤木は拒絶しました。

絶対的な物に対する情熱や執念の違いです。

しかし小暮もまた辞めずに頑張り続けました、が、引退試合で「バスケットが好きなんだ」と、はっきり明言します。

赤木と実力の差があれと、気持ちはまったく同じであり、印象が薄くても(それが湘北の突破口になる)何年とバスケットをやって来た実力は間違いなく彼には有るわけです。

だから、小暮柄報われたときには、わあわあ泣いたし、赤木が泣いているのに桜木が(海南のシーンの逆ですね)肩をかけたときは、やはり涙が止まりませんでした。(泣)

私は、本当に多分心はまだ病んでいて、何かしらある度に泣きますが、死にたいとか消えたいとか、そうは思いません。

ただ気持ちは過敏であり、不安定さがあっても、知らない人を前に泣くわけでも、迷惑をかけるわけでもありません。

自分のことは自分でします。

パートナーに救われながらも何事かに直面する度に対処するのも自分であり、逃げません。(逃げたくても、投げ出さないように踏ん張る)

だから涙もろく、感動共感し、涙を流す回数は多くても、構わないと思います。

大体、パートナーや親友らには、嬉しい涙ばかりさせられてますよ(笑)

泣くのはネガティブかも知れないけど、感動や嬉し涙はポジティブだから。

お別れとか喪失の悲しみとはまた別です。

だから私は泣いても構わない。

そりゃ、過去を思いだし、引き戻して辛くなりネガティブの渦に引き込まれたら良くないことになるでしょう。

大なり小なり、過去に傷なんて誰でもあるでしょう。若い頃なら尚更あるでしょう。

でも、思い出しても苦いだけくらいで良いんだと思います。

やり直せればとは誰しも考えるだろうけど、それは出来ないし、仮に何か罪を犯したならいつか汚名返上の機会があればやろうと思えていれば、上出来だと思います。

中には、ひどく人を騙したり貶めたり陥らせたりして、誰かを大きく犠牲にしながらも笑っている人もいて、

大概そんな人は悪いことをしたこと自体に気づきさえしません、

つまり、いつかその犠牲にした人に出会ったとしても、汚名返上すらしないし、すること自体の意味がわかりません。(罪の意識がないから)

自分がした失態とか、過去の辛さや苦さは、いつか誰かに同じ思いをさせないように学んだことで、これから先に活かされること、報われるための事です。

私にも、学生(小学生、中学生)時代の事で、謝らなくちゃならない相手がいます。相手を思えば、恐らく私は恨まれても仕方がないようなことをしました。(私個人のみに限りませんが、相手は必死だったから私個人を今でも恨んでいそうだ。彼のときから変わらないままならば。)

記せば大概分かりやすいとは思うけど、勿論、当時のイジメの話ですね。

現在のイジメとは違い昔は攻撃的にダイレクトだったね。

ネットもスマホも無いし、先生はイジメに対して大きな責任をとらなかったし、現在みたいに逃げ場所は無かった。

そして。

今現在でも言われるように、苛められるには苛められる側にも理由があった訳です。

しかし、それは大概小さな事です。

やはりやった方が悪いです。(キッパリ)

大概は外見、あとは清潔感や匂いや、家庭環境や成績、若干性格(しかし性格は苛められるほど卑屈になるから、悪循環)

家庭環境とか、今騒いだら大問題になるけどね。見た目は本人が結局回りと合わせられるかだけど、面倒だよね。ましてや自分を苛める人たちと足並み揃えるとか生理的に嫌だしね。

匂いや清潔感は、学生時代なら半分は親にも責任がある。服が汚いとか、お風呂に入れるかとか。アイロンをかけてやってたかとか。

成績、これは本人努力ですね。今現在なら「塾に行ってないから」とか、理由は幾らでも言えるけど、昔そもそも塾は少なかったんだから自己努力ですよ。(笑)

でも、成績がいいのと、頭がいい、は、別物(笑)応用ですよ、

世間に出たら(笑)

イジメも、酷い行為もやられた方は忘れないから、私に出来るのはその人に誠心誠意謝ること。許す許さないは相手が決めるし、私も深追いしないこと。

(相手次第ではペースに巻き込まれる、願わくばは、彼女が卑屈だったあの頃から、どれ程綺麗に立派に幸せになっているか。)

自分も苛められた側でもあるから、卑屈でやらしーい自分の性格は分かってる、今考えても、いじけてて暗くて誰も彼も大嫌いだったわ。

でも、やったこともやられたことも忘れないから、無かったことにはしない。

いろんな事を思い出したり、共感して泣いても、それは怒りや悲しみを増幅させる為じゃない。

スラムダンクは純粋に良い作品だから、泣くんです。あと、泣くだけじゃない、笑うんだよね(笑)今回、綾南戦が終わり、病院で安西先生胴上げ(笑)のあたりは、久々に声を出して笑いましたよ(笑)

私が、今でも忘れてないあの子は、(あの女性、二人は)

今は幸せに笑っているだろうか。

 

嬉しい涙を流せただろうか。