39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

溢れた黒いもの。

先日、新人Nちゃん

(Nちゃんは、新人ですが、私より年は五つ上。でも新人だからちゃん付け。)の

話を聞いて、下らないことを振り返ってしまいました。

過ぎた昔の話。取り戻しも取り返しもつかないし、

何を足掻こうが、

過去の幸福は追求出来ない。

得られない、変えることも出来ない。

そんなことは、とうに知っています。

知っているから、

時々掘り起こしては埋めて

顔を出したら埋める作業をするのです。

 

先日から名古屋場所が始まっている大相撲。

中入りなどの際に、力士が順番に土俵に上がり、

客席に向かって丸く美しく並ぶのですが、それを母と視ていた私は呟きました。

 

 

私「力士が順番に輪になり一つの円を作る、ひとつの共有の形だね。

志は同じで、誰も余ることなく輪はきちんと作られる。

 

そうして、

グループと言うものも、クラスと言うものも、共有の団体である筈だけど、

必ず、

誰も隙間を与えないか、

それとも、

一人の人の間前後に空白を作り、

この人は仲間でも、クラスメイトでもないと、周りにアピールをする。

 

女子高とはそんなところだった」と。

母は驚いて

「同じクラスなのに、わざと?」と

聞き返してくるので「同じクラスから排他したいくらいどうでも良い存在がここに居ます、と、他の人達にも分かるように、皆で晒すのよ

それは、やってる人は三年の間の娯楽で、

やられる方が悪いと言う無敵の免罪符で、

巻き込まれたくない人達は似たり寄ったりの行動をする。

いつも楽しそうだったけど、私には彼女たちの楽しい気分と言うものは

自分には一生無縁で良いと思っていた。

実際共感しないから、徒党で誰かを笑う気持ちは、

私にはただの人間性の欠如だとしか捉えられなかった。

 

今は、あの中に居場所は

どう足掻こうと作れないし想像が出来ない。

Nちゃんは資格が欲しくて、高校進学しなかったのを悔いてるけど

 

車座で一人をハブにするような学生の吹き溜まりに、

いきなり入って行くのも

それらの人達の取り立てられ奪われたものが

正常に機能を取り戻すのには10年は必要だった。

Nちゃんなら或いは高校は問題なく人間関係を構築したかもしれないけれど

何をどうしたって

時間は戻せないし、

傷も責任を持って消してはくれない。

周りの皆がやっていたと言えば時効のようになっている。

過ぎたことだと何度考えて忘れても

切っ掛けがあれば思い出す。

実に嫌だ。」

母は

 

あんたは学生のあの頃、暗かったけど

 

苛められている。とは

言わなかったよね

 

と話すので、

 

ものは盗まれて利用はされても暴力を受けてなかったから。

でも、毎朝お腹を壊していた。

と、話しました。

 

今現在ならば

 

逃げてもいい、辞めてもいい、選択肢も可能性もある時代ですが、

 

当時の私たちは

 

「厳しい受験から、競争率で勝ち取った入学は決して安くはなかった」ですし

(私立に受験し受かったようなもの。

推薦なし。)

「辛いから、逃げる」と言うこと事態考えられない時代でした。

入ったからには卒業して、良い職業に就職したかった訳だけど

 

その為に頑張って資格を取り

苛められながら通う学校、

学生、

先生のお陰で、

たった三年で人間不信。

社会に出たい筈がない。

おまけに就職氷河期、資格があろうが選べるほどは求人が無かったから。

 

ようやく努めた小さな会社も、人間不信と、パワハラで半年で辞めたし

 

その後コンビニにも一年半、

それから厨房業務で二十年だから

結局、

資格が関係なく

 

人に出会わない裏方で、恩師に出会うまでずっと燻っていたのです。

 

その後、職場が畳まれて

半年でバイトをしないか薦められ(都合のいい、人材で目を付けられただけだけど)

仲居業務で六年以上

やはり人間不信は変わらなくても

 

 

その頃にはパートナーにも出会ってましたから、

人を視る目を養いながら、ひたすら働いてましたが、

転機が来て、仕事あっさり辞めて(笑)

そうして一年半かけてダイエッターになり

二年の頃には今の仕事に出会っての

今ここ(笑)

 

すでに、奪われたものが跡形もなくなり傷痕だけうっすらと、今も顔を出すけれど、

しょうがない。

 

やった方は実にあっさり忘れるけれど、

やられた方は忘れないのだから。

 

母は、後悔をしたかも知れません。

私には安定した事務職に就職し、異性と結ばれ、孫の一人も抱きたかったかも。

 

でもね

 

私は高校の頃にはもう、子供が欲しくなかった。

 

どんなに優しくよい子に育て道を示して正義を教えても

 

学生基準で、弱い羊になり食い物にされるなら、

自らの子だけは犠牲に出来ないと願ってたし、

 

うちは女子高だったけど少ないけど男子も居た。

でも、皆が同列に隙間を作るのを楽しんでいたから

 

異性もまた私には敵だったから。

 

私が脳に損傷を起こし病気になり社交が無理だと分かったときに

様々なことを、わたしは迷わず捨てられた。

 

 

でも、結果的には、何一つ捨てること無く、むしろ与えられて生きている。

それは私には一生得られないだろうと思った

「脅かされない、心からの安らぎ」だった。

 

今、私が学生なら、

砂浜に駆け出して

海に飛び込むだろう。

楽しくて

嬉しくて

 

仕方ないのだから。

 

あの時誰とも共感出来なかった青春と言うもの

今蘇る黒く醜いものはまた埋まり

 

今現在の私の青春に変わっている。

 

 

 

 

 

内職、二つ目区切りがつきました!

 

来週は県庁所在地に

予定どおりに向かうつもり。

 

 

一人で

ひたすら今の幸せを満喫するために。