消失の日、慰霊の日、終戦の日です。私はいずれも経験していないから、
知らずぼんやり二十代半ばまでを、なーんの知識も無しに育った、恥ずかしい日本人の代表でした。
歴史の授業だってあった筈なのに、
「進学するための試験のためのテキスト」
だと、
勉強とは、学ぶのではなく覚える、と、
認知してきたバカです。
記憶と暗記の違いに成ります。
記憶は覚えるけど、暗記はその時のためだけに覚えます、いずれ忘れても構わないのです。
国語や英語や商業経済が得意だったのは、やはり国民であること、通じることの楽しさ、リサーチの意味と基本など、共通するのは「覚えると楽しい」事でした。
社会(歴史とは別)と珠算とかワープロとかは先生が好きだったから(女生徒に格差を持たなかった)
その20年後に社会の先生と再会し、日本敗戦について勉強させていただきました。個人で歴史勉強会とか月1開いてました。
半年で終了しましたが(笑)
(人が集まらないのと、勉強会とかの開催に図書館などが非協力的だった、
勉強の場所が無さすぎたなど。
バッグボーンが無ければ個人は弱いものです、最低でも先生の単位が必要になります。
あと、場所だけ目的にやってくる暇人が多かった。おやつ目的だ。)
何にせよ、目覚めが遅くて、必死に勉強できたのも努力を惜しまなかったのも、薬は多少なり起因してましたが、
当時は45kgだったと思い起こしてます。
今日体重が38.0kgをきりましたが。
体重は力でもありましたね。まあ、それとは別に薬には原動力促進の大きな力を持っていたと思います。
でも、言い方は間違っているかもしれませんが、
歴史の。日本の恥部である戦争の歴史を、私は無我夢中で勉強出来たのは楽しかったです。
そして、最終的な壁にぶち当たるまで吸収するだけやって、諦めてしまったのも事実ですが。
学生の頃にもっと吸収していたなら何か変わっただろうかと思いますが、それでも多分歴史の先生になりたいと思うほどはなってなかったと思います。
私は、ただ、戦争について学びたかったから、歴史全般かと言われたら違うからです。
何故戦争かと尋ねられたら、「日本人だから」と答えるだけなんです。
と言うか、寧ろいまや、知らない方が恥なので。
ウクライナ報道は見れる読める範囲で勉強?してますが、
せいぜいロシアがやったことや、デモやストの意味を母に教える程度ですが
(母もまた、ロシアはロシア全てのロシア人一括り、
中国と朝鮮も一括りな人間です。
いまだに韓国のひとを見かけると、チョン人がいる。と蔑視する人です、
恥ずかしい。)
先ほど、ムービーチャンネルで「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」を視聴してましたが(過去に視聴済み)、
飢えて武器も少なく、更に兵士ではない市民を連れての攻防は、飢えと病気と暑さと体力との戦いなのに、
真っ黒になり痩せこけているのに、崖っぷちの筈の兵士の、みなぎり衰えない奮い起たせる渾身の気合いの入り方こそ「日本人、大和の魂」の象徴だと思いました。
昨今日本人はやたら、無闇に大和魂を使いますが、全然ダメですね。
幾年か前に、K1の誰かが「お前が負けたら腹を切れ」と言う暴言を吐くと言う恥ずかしい真似をしたことがありましたが、
我こそ日本人。
大和の魂を持つなどと抜かせる無駄に何かに特化した「特別」を「天から賜りし才能」と勘違いした男の末路でしょう。
人は何かしら特質な部分を持つかもしれませんが、傲るのはそれこそ、単なる恥なので
日本人の代表だとか決して思わないで欲しい。
貴方の恥ずかしい発言が日本人の恥になるんです。
前にも記しましたが、大多数のグループがあるなら全ての人がそのグループの顔なんです。
一人が間違えれば、それはグループの責任になるんです。
何かしらを日本人の代表として背負うなら、
日本人の素晴らしさこそ発信するならまだ善い方で、
日本人様々になどなっては為らないんですよ。
文化の発信を、間違えてはならないんですよ。
それで、話を戻して、
映画を視聴しつつ、様々なところで泣きましたが、
潔く自害したいが、いざ小さなモノクロの家族写真を視ると、
まだ、日本に帰れていない、妻子を残していると思うと
自害が出来ず、泣き叫ぶ兵士のシーンは、非常に胸に刺さりました。
恐らくは、私は、誰かを残して死ねないと言う気持ちに酷くシンクロし、
同じく、黒く焼けて痩せ細り弾丸少なく、衰えて行くのに徹底的に抗戦の意思を決意した彼らに、
今体力が衰え削られている自分の気持ちもまた重ねたのかも知れません。
果たして私に彼らほどの厚い忠義や魂があるのかと言われれば、私のはただの紛い物です。
しかし、徹底的に自分の生をやり抜きたいと誓う気持ちが、ほんの隅っこだけ共感しているのです。
私のは、大半は仕事と体のバランスですが、
それに比べれば、何の補助も無しに、気持ちだけで、忠義だけで、日本人は彼処まで規律や自らに厳しくいられたものかと
(大半は暴力や地位で従わせていた部分もありますが、これは映画ですから。)
後はなく、ギリギリなのにギラギラしている国(延いては家族)の為の「すべてを捧げる一本の芯がある生きる魂」こそが、(昔は生き抜いて戦い抜く)大和の魂の美しさであり、美しさこそは誇りでは無かったのかと思います。
今の日本人、特に男子は、格好良ければ強ければ。
大和の魂を持っていると勘違いしています。
気高さとは強さだと思っています。プライドもまた強さに根付いていると勘違いしています。
強さとは単純に拳じゃ無いんですよ。
それが分からない内は、気高さも、誇りも、強さも語る必要も無いんですけどね。
頭空っぽのヤンチャが大和の魂じゃ、祖先はさぞかし悲しい限りでしょう。
そのいきり方の何と野蛮で醜いことか!
映画のラストは、日本敗戦による降伏ですが、整列に乱れなく歌いながら山を降りる隊列の美しさと、軍刀を捧げた大尉の見事な振る舞いは美しすぎて、ため息も出ました。(しかしぼろぼろ泣いてしまうのは、やはり何故か、負けたのだと思ってしまうから。
私はやはり、負けたくないみたいなんです。折れてしまうのがとても怖い)
勿論映画だからでもありますが、多くはこうも綺麗な降伏ではなく、最早どろどろだったでしょうが。
本来もっと映画はこの3日以前から放映してましたが、結局仕事で視れませんでした(泣)かえすがえす惜しい限りです。
レンタルすれば幾らでも観れますが、やはりそこは今だからこそ観たかったので。
日本は降伏して、生きるため、復興のため、経済成長のため、平和を誓って今も色んな戦いの最中なのだと思います。
私も、潔く強く優しく生きて行けるかと思いますが、その結果をいつかパートナーに素直に訊けるように、
恥じることない道を選んで、間違いを補整しながら地道にやってゆくつもりです。
戦中の寿命とは、まるで変わって、人生は今や百年(笑)
パートナーや親友に支えられながら(もともと一人では生きて行けないタイプでしたが、パートナーが出来てからはますます一人ではいられなくなったなあ)
ばあちゃんからも(親父からも)連れて行かれなかった事だし、(笑)
足掻きます(笑)
泥臭くても、カッコ悪くても、異端に見えても、死にはしません。
沢山の亡くなられた方々に慰霊の気持ちを捧げ、今日と言う日を悼もうと思います。
やはり、お盆は、気持ちが自然に悼むものなのだと改めて思いましたが、皆さんはどうなのでしょうか。