昨夜の続きみたいなものです。
↑先に、成長する仔猫の写真でも載せて、若干毒を抜いてみましたが、(笑)
この先は毒まみれですので!特に子供大好きな方は回れ右推奨で!
昨夜は、結構自分の事だけでいっぱいいっぱいでしたが、それは仕事とは関係ありません。
しかし、私はその前に恩師から言われていました。
「自分を抑えて笑顔で居ようとも、空気はお客様に伝わるものだからね、切り替えなさい」とは。
実際頭痛は止まず、吐き気も込み上げたときには、早退を願い出たくなりましたが、
立てるなら、まだまだだと気力のみで(あと、やはり意地でしょうか、これが終わるまでは、自分を許せなかった。
私は安心して帰途につきたかったのです。)
今回はね、
じいちゃん夫婦、ばあちゃんの兄弟、(姉か妹二人)、若い夫婦とその子供、七人の座席でしたが、どうやら快気祝いの様子でした。
で、いつものことだけど、
若い夫婦ってのは役に立たない。
面倒を見てるのは主にばあちゃんでしたが、このばあちゃんも孫べた褒めを繰り返すばかりで、所謂愛でるのみの立場です。
子供については、店長から
「肉が沢山あるから、お子さんが唐揚げ足りなさそうならおかわりあるよ。と、言って上げて」
と、言付かってました。
ちなみにこの家族が老舗のとある店の家族であることを知ってました。が、そんな伝統ある家柄の孫に
「なにを飲みたいか」「お願いします」
が、言えるかをここで言わせない。(試さない)外出先での緊張する瞬間のマナーなんて、何回教える瞬間があるのか。
おじいさんは寡黙ですが大変親切で品がありました、聞けば婿養子だと言うから、女系家族かと合点が行きました。
とにかく女性の方が慇懃無礼だからです。
こんな店で買うのは絶対嫌だと思うし、後継に熱望されてる孫は壊滅的。
所謂典型的な内弁慶型です。家のなかではお坊っちゃまの殿様、
しかし外に出ると回りに挨拶も出来ない。
こちらの問いかけとかには一切答えません。
最初は人見知りかと思ったんですよね。
私「あのね、唐揚げお代わりできるんだよ、だから、欲しくなったら言ってね」と、努めて目を見て話しましたが、
孫はまず目を合わせない。
なにか飲むかを聞いても
ばあちゃんが注文したり、飲むものを指定してくる。(ちなみに、カルピスと言われましたが、うちはカルピス無いんだな。)
貴女には訊いてませんが?
私はこの小学生に聞いているのですが?
最終的に烏龍茶になりましたが、それすら親が決めたもの。
もう徹底的に嫌になってました。
恩師が言うように、私はその日の大半を自分の悩みで葛藤していましたし、怒りや悲しみで頭が爆発しそうで、それでも割りきろうと思ってはいましたよ。
でも。
今夜は無理、却って自分の存在自体良くない、誰にたいしても。
そう思いました。普段なら流せることが、流せないくらいは
言える筈の事を、敢えて言わない、やらせないは、人にも自分にも毒なのを今回分かったから、
私への本来の怒りが矛先を変えてしまうと思いました。
私に対する怒りが、この孫(バカボン)にシフトしては不味いと、なるべくHさんに写真撮影などもお願いしました。
次からしっかり切り替えますが、雰囲気を察されては元も子もない、それだけは止めたい。
そればかりでした。
わかっています。
良くないことを私はしました。
やれることから逃げました。
でも自分の毒に誰かが触れるのは嫌で嫌で堪りませんでした。
私に関わってるならともかく、無関係な家族です。
全く接客しなかったわけではないですが、
なるべく穏和なおじいさんやおばあちゃんの姉妹側で、出せる笑顔を出してました。(嘘を顔に出さずに済む)
その間に、子供が烏龍茶のお代わりを言えるかを、おばあちゃんが促しましたが、
結局、子供からは一言も言葉は出ませんでしたが、この子はばあちゃんや親には無茶苦茶喋ってるんですよ。
私に対しても緊張を感じない。
むしろ、受け答えを面倒だと考えてるみたいでした。(本当に血の繋がり以外に対して、この子の本性は面倒臭がりなんでしょう。しかしなにも出来ないとかではなく、トイレとかは普通に行ってたし)
その後、ふと見ると孫の皿がからに近かったので、
今度こそ私は
「んー?唐揚げお代わりいるかなあ?」と、彼」※(バカボン)を見ましたが、
「お代わり、いるよねえ(笑)」と答えたのは親でした。
だから貴方には聞いてないんですよ。
子供に答えさせなよ。
ああ、うん、言わないよね、何も。
私「何個くらい欲しいかなあ?(ください、言えるかな?)」
小学生「三個!!!!」(強調でかい声)
は?
喋るところはそこ?あと単語?(呆)
挨拶も、オーダーも、お願いしますも、くださいも、ありがとうも言えないのに、
そこだけははっきり主張するんだ?これが7つの言うことか。
料亭で初めてしゃべった単語は「三個」でした(笑)
(喝采の歌に替え歌出来そうだな(笑))
※初めてなのは本人らが話していたから。
その後、私が洗い物に徹したのは言うまでもありません。
常識的なことをしない親も、
ありがとうも言えない孫も、
その孫の頭のよさ(得意と良さは別物)をひけらかすばあちゃんも、
一切関わりたくなくなりました。
私は別のお客様に回り、仕事自体は問題なく終わりましたが、決して気持ちのいい仕事をしたとはどんなに欲目に見ても出来ませんでした。
苛立ちや怒りって本当に良くない。
全面的に私が悪いんです。
バカボンは関係ありません。(笑)
元来から、色んなお客様を相手にしていて、日常茶飯事の光景だったはずだし、いつもなら割りきりが出来ましたが、
ギリギリに気持ちにゆとりは一切無い状態では、どんなお客様であろうと毒しか溢れてこなくなります。
帰宅すると、珍しくも私の体調を気にしていた母親が、何も聞かずに待っていました。
(熱があり眩暈と頭痛の中で意地でも仕事に行こうとする私を
母は最後までタクシーを使え、休めと、止めていましたが、私は責任を放棄しきれませんでした。
受けた仕事である事と、今日仕事に行くことに意味があったからです。)
そうして、まるで事も無げな日常?が戻りつつあった深夜、母に何気に
私「お母さん、お母さんの子供、
特に私は小学生一年な頃に、他人に挨拶や、ありがとうが言える子供だった?」
と、尋ねました。
母「子供は四人いたけど、あんたは頻繁に言うタイプだったね」
と、返され、
ならもう良いかと、そこで切り替えて終わりにしました。
自分が、人に言えてたなら良いや。と。
勿論、仕事は猛反省しかありませんが、次はやらない。
母は、良く私に「目上に見える人には、必ず挨拶や会釈をしなさい、それだけで相手の気持ちを和らげられる。
そして挨拶されて悪い気持ちには誰もならないのだからやりなさい」
と、頑なに言われ、実践して育ったのを思い出しました。
実際それでご近所の大人たちの評判が矢鱈良かったのは覚えています。
高校に入り苛めに遭おうが、その基本自体にズレはありませんでした。
苛めに遭うことが人を不信になりきるのとでは私の中ではイコールではありませんでした。
まあ、現代ならあっさり余り知らない人に接するなとは教えられているでしょうが、
別に私が面倒を見ているわけではないのですから、私が怒る必要もないでしょう。(笑)
親が促して「お願いします」「ありがとう」を立派に言い切った五歳を知ってますから、逆にね。
どうあっても「あーあ」としか言えませんよ。
お客様は私を見てるでしょう、
しかし同時にこちらも激しくお客様をチェックしてます(リピーターとか、覚える必要あるから)
これからも、沢山色んなお客様を相手にするけど、全てがそうではないでしょう。
悪い部分ではなく、よい部分を拾おうと思います。
あくまで、ムリには探さずに、です。