39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

私はやりません。

ここ数日、私はなにもしないと一時的に放棄しました。

体調は恐らくは戻りつつあるのですが、何かをやって、元の木阿弥になりたくないからです。

気持ちはまだギリギリだと思います。

そして、今朝も私は、洗濯機の中を覗き込んでいました。

私は数日前に、洗濯機の中にある埃取りポケットを外したばかりでした。

実は前々から母に外して欲しいと頼まれていたのです。

(ちょっと固定が意外に硬くて、角度やなんやの兼ね合いで、簡単に外せなかった。

実際私も何回かトライしたが外れなかったが、気になっていた。)

何でかその日外す気になったかは忘れましたが、思わずあっさり取れたんですね。

しかし、ポケット跡がひどく汚れていて、磨く必要がありました。

しかし、私はそこまではやらない。

と、決めてましたから、母にポケットが外れた旨と、ポケット跡を磨くのを頼みました。

母に頼まれていたポケットを私が外したならば、ポケット跡の掃除を母に私が頼んだ形になります。

パートナーに、

「家事とは、家の事と書くのよ。

家人が共同で行うことであり、お手伝いとは主として誰かがやることの補助に過ぎないの。

だから、手伝うよと言う家事の協力の仕方はおかしい、

私もやるよ、が正しいですね。

小さい子供じゃない限りは」

と話しました。

将来のために私はパートナーを育てています(笑)10年やそこらかけて(笑)

今の内に妥協点やら取り決めを密にしています(笑)

パートナーは

「先に言ってくれたらちゃんとやります。

キリッ( ・`д・´)」

と返してきました(笑)

 

何事も、察してではダメと言うことね。

まず、要望も不満も先に言わなきゃならんと言うことです。

現代ならば、ますますその傾向は強い方がいいでしょう。

察してちゃんが多いからです。(私もそうなんです。(笑))

そんなことまで、言わなきゃ伝わらないの?

伝わらない世の中なんですよ。

まあ、話が逸れましたが、

母に頼んで以降

あれから二日経過してもポケット跡が汚いままなのを、努めて冷静に見守りましたが、それでは洗い物(洗濯物、二日程度なら二人分だから大した量はないが)がたまる一方なので、

先ほど、

母に

「まだ、洗濯機の中を掃除をしないの?」と尋ねました。

すると返ってきたのは

母「歯茎が痛くてイライラしていて色々やるのが面倒なのよ。」

あのさあ、

さっさと言いなさいよ。(怒)察するも何も察せないレベルのじゃん。

別に頬が腫れてるわけじゃなし。

分かるのはいつも通り母がわがままってことだけだよ?(ついでに言えば頑固で面倒臭がり。)

しかし、歯科に間に合う時間でもなく、

結局母には風邪薬を渡しましたが(母は喘息持ちなのでロキソニンが使えない)

結果的に、洗濯機の中は私が掃除しました。

お陰で回復していた腕の神経がまた病んだわけですが。(ひきつってくる)

筋肉痛ではない。

と言えるのは、結局我慢していたことを自らの手で片付ける羽目になっているからです。

本当に自分の体を自分でどうにも出来ないのが許せないですね。

母親が、これに関して「ありがとう」とも言わないのも毎回のことだしね。

別にパートナーに話しますから、パートナーからの母への株価はだだ下がりに下がりつつありますが(笑)

 

これが、パートナーが私に個人的にしか援助しない理由です(笑)

 

ので、親友Sに送る品物(でかい、重い)を、先ほど母に渡しました。

母は親友Sから少なからずも毎回品物を貰っているから。

拒否は出来ません。

本来なら私が出しに行きますが、私の身体は、本日の洗濯槽問題で、あれやこれやで役に立ちませんゆえ(笑)加えて母は兄の車があるから、伝票は既に出来て貼ってる荷物を

出すだけ。

くらい。やってもらいます。

ええ、歯痛がどうでも、医者には行くのだから、もう遠慮しませんよ。

歯茎が痛くてイライラするの凄くよく分かるけど、それはこちらも同じですから。

私だけが一方的で終わりにはしませんよ。

 

ひとり焼き肉は行きますが、これはパートナーの私のみに対する厚意だから、

これは一方的に私が堪能しても問題なしとします。(もう決めてますから)

さて、9月に入りましたが、そろそろ前の職場の先輩とファミレスでも行きたい。の予定を叶えるときなんですが、いかんせん体がこれだからなあ(泣)

 

パートナーは親から「ありがとう」の躾は厳しくつけられていて、何事も素直に言える人です。

そして、パートナーから言わせれば、

「ありがとう」を言わせる機会を与えないのは言語疎通が通じない子供を作ると言うことだ、との事でした。

人生において「ありがとう」が言えないほど損なことはない。

そうです。

実際私もそう思います。

だって大人になればなるほど、ありがとうって素直に言いづらくなるのに、最も吸収出来る小さい年齢(子供)に、それを躾てなければ、咄嗟でも咄嗟で無くても言わないですよ。

言わなきゃいけない状況でも言わなくなりますよ。

何故なら「ありがとう」の意味をわかってないから。

だから親はありがとうとは、いつ、何時に使うかを具に教える必要があるんですよ。

とは言え、それを私に教えた親が今これと言う状態なんですよね。

老いとはここまで何でも投げてしまうものかと。

 

さて、洗濯槽クリーナー使用してますが、五時間後に悲鳴あげる予感がします(笑)