懐かしい、古い。
しかし、懐かしければ美しいと言う訳ではありません。
何故今思い出した?と言われたなら、最近の記事の内容に、親の躾を思う回数が多かったからでしょう。
今現在の子供の躾と、昔の躾は明らかに厳しさが違いました。
しかし、今でも色濃く思い出しますのは、異様さと恐怖を覚えたからだと思います。
ヤフーニュースの中にある投稿記事を読んだのですが、
「中学の娘が友達の家に泊まりにいったら、
三時間の風呂掃除をさせられた(その家の母に)、二度と泊まりに行きたくないらしい」
と言う内容を読んだ時、まざまざとその記憶は蘇りました。
ちなみに、投稿に対する他の方のコメントはやはり、
「泊まりに行った子供って普通にお客様だよね?」
等の、その母親あり得ない、コメントで溢れてましたが、(使った部屋を掃除する程度なら友達とやるとかはアリですが)
昔であれば、これはどうなのと思いましたが、昔でもあり得ないでしょう。
小学生6年の時に、同級生が泊まりに来ないかと言いました。
今思えば、この同級生には特殊な事情がありました。
彼女は転入生で宮沢りえに似ていた大層な美人でしたが、当時私には友達の美醜など全く関係ない話でした。
比較されても、それは友情に変わらせるわけではなく、何の痛手も無かったのです。
しかし、よくよく思えば彼女は良く私の家に泊めて欲しいとか、匿って欲しいなど言ってきていました。
今更ですが彼女には確実に家庭の事情があったのでしょう。
私の母は、関わってはならないと察知していたのですね。
家に来たら彼女を必ず預からずに帰すようにしていました。
(私が彼女を庇うと、
親より友達を選ぶのか!
と怒られたこともあった)
しかし、自然な成り行きで彼女の家にお泊まりになったとき、夕飯作るからと言われ、私は彼女の部屋で待たされてましたから、部屋で漫画を描いていた記憶があります。
すると、いきなりドアを開けて、男の人(彼女のお父さん)が入ってきたかと思うと、言うのですよ。
「うちではご飯は皆で作るものでね。(早く来い)」
恐ろしかったですね。
子供心に恐怖でした。
だって笑いもしなければ
挨拶もしないし、
こちらも名前も聞かれてない。
なんなら「自分はOのお父さんなんだけど」みたいな自己紹介を自らしない、
こちらからすれば、知らない大人ですよ。
ちなみに、私は挨拶しましたよ。それにしても、相手の顔色は一切変わらず
こちらを値踏みしたあとに捨てたように睨み付けているわけです。この人は怖い人だと言うのだけははっきり分かりました。(厳しいのではない、怖い人なのだと)
その大人の強制(言葉と手)による執行の恐ろしさと来たら。
結局友達の家とは言え、知らない台所に立たされたわけですが、
おかしいんですよ。
皆で作るものでね、
なのに、
父親と、彼女の妹が居ないんですよ。
全然皆じゃない。
おまけに友達からは結局「座ってて」と、特に何かを任すこともなく、(彼女のお母さんも私になにもさせなかった)
座らず立ってるだけの私は役には立ちませんでした。
確か、O(当時の友達の名前)には妹が居ましたが、小学四年生と記憶しています。
長くなりそうだから、ちょっとまとめて言ってしまえば、
彼女の母親と父親は再婚していて、妹は二人の間の子供でしたがOはその前のお父さんの子供でした。
Oは二人目のお父さんには愛されてはおらず、度々私の家に逃げてきていました。
養父はOには家事をやらせましたし妻であるお母さんに対しても厳しかったようですが、実子である妹には甘く、更に亭主関白でした。(台所に入らない)
しかも監視や勉強や素行に厳しく、その上で彼女を時には家に帰らせなくしていました。
(帰宅しても鍵が掛けられており、彼女は合鍵を持たされていなかった、夜まで家に入れない)
その、憎たらしい養女が友達を連れてきて、泊まるのに、(ついでに言えば、とりとめて可愛らしくもない※文字通り、好みの問題)手伝わないのは更に腹ただしかったのでしょう。
今思い返せばですが、彼女の父親は教師でしたが、(どこの学校かは知りませんし、小学校かどうかも知りません)
男尊女卑と亭主関白とモラハラに加えセクハラを彼女にしていたと思われます。
おそらく彼女の母親も彼女を庇いきれないのは、結局妹が居たからなのですが、私には妹の記憶が余りにも無いんですよね。
最終的には、彼女との友情は小学生時代で終わりになりました。
中学生になった彼女はますます美人になりましたが、家庭の事情が悪い影響で、素行が悪い集団グループに入ってしまいました。
そうなると、会話とかの接点がなくなり疎遠になりました。
やがて中学生卒業の頃には彼女を見かけることもなく、彼女が進学した話も聞かなくなりました。彼女は身一つで別の県に逃げたのです。
彼女は親の躾の被害者でした。
今果たして幸せであるかは分かりませんが、二十歳を過ぎた頃に彼女から手紙が来ました。
内容は、懐古と反省、私にまた会えたなら、と言う後悔でしたが
身一つで飛び出し、中学生になった途端に酷く辛く当たられた記憶がある私には、当時ぐれていた彼女は離れて行く一方で、私に対する苛めの加害者でもありました。
中学生時代時折すれ違い間際にメモを渡されていましたが、
コンクール合唱のあなたの声は飛んでいましたね、とか
針子の皮被ってんじゃねーよ、とか書かれていて
子供心にひたすら嫌悪したり粗を探されていて、憎まれているのは分かりましたが、
彼女は私を憎むのではなく、私の家庭環境などを羨んでいたのだと、後に思い返しました。
しかし、同い年の罵詈雑言とは思えない言葉と、マウントは、やはり当時は恐ろしかった。
距離は広がり、私はクラスメイトで漫画が好きな人たちの方へ流れ、彼女を忘れました。
彼女の手紙には「あなたが描いていた漫画だけが懐かしく、貴方はいつも元気だった」と、あったのですが、
彼女の手紙には発送住所は書かれておらず、結局縁は戻ることはありませんでした。
すでに、道は遠く昔に別たれ、戻ることもないほど状況は変わっていたのだと、
無自覚でお互い察していたのですね。
私は地元で働き漫画を描きながらも家は貧しかったし、相変わらず友達関連には苦労していましたが、絵を描いている限りは気持ちは死ななかった。
彼女は地元(元々転入してきたから、ここすら地元ではない)を離れて恐らくは住み込みなり、未成年でも働ける場所で、苦労して気持ちが疲弊したときに、私のことや思い出が、美しく甦ったのでしょう。苦労してるときに頼れる人すら持たない人は、過去にすがりがちです。
これに関しては幾つも経験があります。
私は毎々度々
「美しい楽しい優しい人間像」
として、似たような手紙などを別の人からも貰っています。
その人も、子育て、離婚、借金で苦しかったときに私に手紙をくれています。
あのとき、美しい思い出、何てものは、実際はそう美しくもありません。
疲弊し苦労し、逃れたい現実逃避が、過去を眩しく見せるのです。
片方には美しくも優しい記憶も、片方には苦労や苦渋しか思い出せない記憶にもなっています。
私からすれば、彼女とは楽しかった記憶もあるけれど、それから先(中学生時代3年間)の事を思い出せば全てがおじゃんになる位には、心が柔らかいときに大きく抉られていました。
だからこそ、この手紙には驚かされたのですが、
同時に、もう交わることもない。
と、はっきりしたのも確かでした。
その時には、私には漫画関連でとても強い友達関係が出来ていて、
彼女はもう小学校の時の同級生と言う過去の人でした。
しかし、彼女は今はもう幸せではないだろうか、と思うのです。
時間は経過し、苦労した50も間際に彼女が報われてない筈はない。
そう願いたいだけかも知れません。
自分の幸福は取捨選択だと思います。
父親や母親にいかに苦汁を嘗めさせられても、或いは富豪の元におんぶにだっこで育って居たとしても、
何が幸福か、何が幸せに繋がるか、誰を選ぶかは自分です。
親が悪かったのは、彼女も私も質が違っても別々の苦しみがあったのです。
だからこそ彼のときに仲良くなったのです。
親ガチャなんて、無茶苦茶な言葉を簡単に現代人は作り出しましたが、
昔にそんな言葉を使おうものなら物干し台に紐で縛られ一晩飯抜き放置の、児相案件でしたね。(笑)
思い出したとは書きましたが、やはり今でも再び交流が出来るとはミリも思いません。
子供時代の、親の躾による被害が加害者(私に対しての彼女)を結局出させたのは、やはり間違った躾をした彼女の父親です。
親の躾を思う時、彼女のモンスターだった父親の恐怖は忘れられません。
彼女は何年もこれと戦っていました。
躾ない躾より、質の悪い躾があったのです。
現代の親は、子供に自由を与えるのが躾か、それとも支配するのが躾か。
子供には親しかいないのに。(サイレントヒルじゃないけど、親は神なんですよ)
休みの日の、怖くて暗い辛かった思い出でした。