39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

齢幾つの参観日。

齢45を過ぎて、自分の仕事場所に母親がやってくるのは、

まあ、2度目だけれども!(笑)(*T^T)

幾つになっても職場に親が来ると言うのは落ち着かないものです。

敬老の日を露骨に嫌がる母親なので、

敬老の日からは外して本日店に招いた次第です。

ただし、母と母の友人(父親に代わりうちを助けてくれた大工さん)と二人を招いたのであり、

私は、給仕しますよ(笑)

一緒には食べませんよ(笑)

通常一万のコースを店からのご厚意でグレードアップし(一万五千円並)

更に、私の社割りでもっとお安く!(笑)

 

親が来るまで入り口辺りをうろうろソワソワしていたワタシは大変、

小学生時代を思い出しました。

かなり、結構鮮やかに蘇る小学生の時の記憶です。

うちは、基本的に父親は育児も家事もしない野郎だったから、子供は漏れ無くお母さんが好きでしたが、

子供→親、の、好きの形も様々でしたし、母親はひどく子供の事で苦労しています。

でも、参観日が近づいてくると、やはり誰より母親が綺麗じゃなきゃ嫌でしたし、贔屓目に見ても過去の母親は美しかったと思います。美しいというより、綺麗でした。

(まず痩せていて、童顔で体格は小さく、何を着ても似合う。

しかし悲しいかなお金がなかったから身綺麗な服を持ってなかった。)

母親には必ずスカートを穿いて来てほしいと必ずお願いしたものです。(笑)

今現在の小学生も母親にそう願うのでしょうか?(笑)

母親が来てないとソワソワしたものだし、クラスに母親が現れたら自慢だったものです。

まあ、でも、これは単に私の主観であり

誰だって自分のお母さんが一番綺麗に見えるでしょう。

だから、その時の気持ちが甦るのは、

どんな形があっても、母親が来ることが気にならない子供はいないと言うことです。

複雑な感情、嫌悪があろうと、母親の前では駄々漏れになります。

悪態も思春期も、結局は親に何かしら楯突きますが、

無関心じゃ無いんですよ。

好きも嫌いもちゃんと気持ちは親に向いてるんですよ。

意識してるんですよ。

だから、落ち着かない。

 

特に母親と言う存在は。自分に血肉を自ら分けた母親は。

もちろんそれが、父親の場合もあるでしょう。

私には父親の重要性も情もないので、ベクトルは向きませんでしたが、

映画で父親が娘に泣きながら「ごめんね」と、詫びるシーンを見て思わず泣いた事があります。

 

父親は詫びることなく亡くなりましたが。

それ自体、父親に対して自分は憎悪なり険悪なり感情を向けていた事になります。

無関心になれたら楽でしたが、結局はそうはならなかったままでした。

 

話が曲がりましたが(笑)

 

今現在となっては、母も年老いて、気になるのは身だしなみもそうですが、無事に到着するかとか(笑)

そんなことになってました(笑)

母親が来るからと言うより、迎えに行かなくて大丈夫か(笑)

とかになってるんですね(笑)

そうして、心配を余所に母親は無事に到着しましたが、

珍しく、大してアルコールを飲まない母親が生ビールを二杯も飲んだのは驚きでした。

あと、何回こんなやり取りが出来るのかなと思います。

で、笑い話ですが。

母親が、記念に写真を撮ってくれと言うんですよね。それで、真横から撮影して、確認を頼んだら、

母親「これは、ダメ、撮り直しして!」

と、言うんですよ。

で、何でかなと考えてみれば、

母親は太って映ったのが気に入らなかったんですね。(笑)横から写せば確かに幅が太く映る(笑)

だから、「ああ、今のは撮り方を間違えたわ」と、スマホをもう一回借りまして、

ええ。

真正面から撮影し直しました(笑)

だからって、真横からより多少ましなだけですが!(笑)

事実は変えようがないのよ?(笑)

直接母親から聞き出したわけではないのですが、

母親の体重が間違いなく55kgを越えているのは毎日見てるからこそ分かるんですよ。(母親は私より4センチ身長が低い)

 

果たして、写真は「さっきよりまし」と、母親は納得するしか無かったのですが。

さすがに、ここで写真加工アプリをダウンロードするのもなあ。(笑)

事実は事実として見たままを受け入れないと、自分やら他人を誤魔化し続けても仕方ないし。

そんな承認欲求の満たしかたは好きではないので、ありのままを受け入れて

ダイエットしてください。(笑)

しかし、

あんなにも太れなかった根源である父親が存命の時期を終えて、ようやくこの年齢になり、

母親も太れるようになったのは、喜ばしい事なのでしょう。

幸せだと、母親も思えるようになったのでしょう。

 

太れなかった時期が長かった私と母親は、(太るほど食べられなかった。父親からのストレスやモラハラ、経済DVによる)、だから太ってからは悲鳴をあげたんですけどね(笑)

食べても太らないと傲ってましたね(泣)

私の太る原因は、向精神薬の副作用からでしたが、

長いダイエットの時期も通過し、いまだに体重とにらみ合う日々ではあります。

それくらい、維持と言うのは難しいんだから。

帰宅後、母親に

「あの写真見てショックだったのよ(泣)(TДT)

こんなに太っていたなんて(泣)」と、言われましたが。

意外と肥りつつある過程は自分でははっきり自覚が出ないもの何ですよ。

ただ緩やかに幸せな日々を送ってるんですよ。

その幸せ中に、摘まみ食いとか仇食いとか、毎日美味しいご飯ウマウマ(笑)って言うのが含まれてるんですが。

食べて充たされるのは大変宜しいし、そのまま1日終えられたら正しく幸せな1日です。

そこに「運動」や「カロリー消費」と言う、辛いことをしなくて良いのですから。

それは幸せな1日でもあるけれど、

同時に楽な1日でもあるんですよ。

そんな日々が積み重なられたら、確かに幸せな毎日です。

しかし、楽は蓄積されて、やがて「分かりやすく」脂肪の形や病気の形で現れます。

 

母にも、何でもない1日の積み重ねが、まさか大きなツケになり、それを支払うはめになるとは思わなかったでしょう。見た目と言うはっきりした形で。

そりゃ、写真加工とかしても仕方ない。

誤魔化してる場合じゃないよ。(泣)

美しかった母親が、よもや、太って気にし始める時が来ようとは(笑)

小学生の時の私には分からなかったでしょうね(笑)

 

それでも、やはりこれからも母親を気にし続けるのには変わらないんでしょうけど。

ダイエットについては、私はある程度は、自分がやって来たことを伝えてますが、私に出来るのは、尋ねられたら答えるのみです。

基本的にダイエットは回りが急かしても、

やる人はやり、やらない人はやらない。

それだけなんです。

やるかどうか、やり抜くかどうか、それは本人が決めることなんです。

私からすれば、幾つになり何キロになろうが、母親であるのに何も代わりはないのだから、

太ろうが太るまいが、構わないのです。

 

しかし、出来れば健康の為に痩せてほしいですね。

 

あの時と違って、お母さん。

今ならもっと綺麗なスカート買ってあげられるんだよ。

痩せたらもっと綺麗に似合うよ。

 

そしたら、また参観日やりたいな。

私が一緒にダイエットやると言っても、嫌がるだろうなあ。(泣)

↑親友Sが、先着巾着ゲットした模様です。ちなみに全4種です。

うさぎ好きだけども。

ハチワレ来いハチワレ来い(笑)

巾着どの柄も可愛いですよー!