39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

10年後の今。

お昼ですので、(人様には夕方前)ランチに行かねばと思いましたが、

冷たい雨だか雪だかで。

遠くには行けないなあ、と思いながら

「あ、コメダに行こ(笑)」

位のノリで行きました。

コメダ珈琲店。(笑)

先日の記事に記したけど、

 

ふと、先日数年間連絡取らなかった後輩を思い出して、何気にLINEしたら、二日後に返信が来て。

「結婚はしたけど、理想とは程遠い」

とか

「人が自分を笑っているように見える」

とか

「生まれついた運がいい人は幸せになる。自分は最初から不運だから幸せにはなれない」

とか

10年前の彼女とは、明らかに前向きさが失われていた。

そうした上で

「●●さんが連絡をくれた日、実は自殺を考えたりもしていた。

●●さんのLINEに救われた」

と、言う内容まで来ていて

 

本当に何が起きたのかと。

 

けど、漠然とした物は感じられていた。

確か五年前に連絡が途絶えた時期が、

彼女に彼氏が出来てお花畑の時期だったなと。

 

誰しも恋をすれば盲目だ。

友達より親友より、彼氏になる。

何より、

彼氏さえ居れば幸福、結婚出来たら最も幸せ、その他は雑魚。

この思考を私は腐るほど見てきた。

そして例に漏れないくらいに、

そんな彼女(達)は、

彼氏で身を滅ぼし、

彼氏に裏切られ、

尽くした末に嫌な道を選んでしまう。

(対等ではなく、尽くしてしまうのだ。

それは楽しい嬉しいうちは構わないが、いずれ不満になる。

そして

不満を爆発させられない相手は結婚していい相手ではないのに、

結婚と言う形に拘ってしまう。)

知人の不倫相手も、

死んだ私の幼なじみも、

縁を切った恋に盲目な元友人も、

この後輩さえも

 

皆、結婚すればゴールだと思っているし、イコールそれが勝ち組なのだ。

何より

溺愛されたくてされたくて堪らないと言う餓えがある。

因みに間違いなく私もこうだった筈だ。

望めば手に入るなら世の中は平和だ。

また、

私は私が「生まれついた運がいい人」とは思わない。

 

だから、片っ端から彼女のLINEに

 

「若干今は考えが偏ってる、それは気持ちが少し疲れてるだけだから。

ちょっとずつ改善に対して努力してみないか?

一緒でもいい、話をするだけでもいい、

自分の向上心をあげてみないか?」

と返信してみた。

だが、

 

深追いは無用だとも思っていた。

 

ネガティブの檻に取り込まれ、

其処が心地好いと言う人間は、なかなか出てこないし、

何を言っても変わることを恐れる人間を変えようと望むのは

気持ちの無駄遣いに終わる(可能性が高い)。

 

しかし、

 

明るかった彼女を知っているからこそ、

コメダの中で私はずっと窓ばかり眺めて考えていた。

 

コメダの中はおばちゃんや、グループだらけで、私は一人だった。

 

彼女のLINE内容も、孤独感に苛まれたものだった。

 

彼女は確かに結婚していて相手は側に居るのに、一人だった。

 

月日の残酷さと、人の変化、自分の無力さで、

食べたものは味わえた気がしなかった。

 

 

店員さんは皆若く、頑張っていて、綺麗だし元気だし、

それだけで私は微笑みさえ出てしまい、

この店のスタッフ一同は頑張ろうとしているのを感じて、

それすら嬉しく思うのに。

 

今、自然の花にも目が向けられない彼女に対して

 

自分は何ができるのか、

と、

自分は深追いはしない

と、

 

やはり10年前とは違う自分が、

コメダの赤色の柔らかい椅子に座っていた。

 

(コメダの店員さんは、濡れたレインコートすら「ソファに置いてください」とまで言ってくれた。

※勿論「綺麗なソファを汚したくないからね」と、やんわり断り、

ちゃんと持参したビニール袋に入れた。

自転車人間の常識だ。)

 

この雨、今夜は雪になるんだろうな。