39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

考え無しで仕事選んだ失敗談。

いや、その前に、

前日の記事の書き方が(下手くそ過ぎて、表現から句読点から)余りにも酷すぎて

先ほどから滅法頭が痛かったです。(泣)

大変申し訳ありません。(泣)

時間無いと、読み返さずアップしてるんですよ。

それにしてもあんまりだ(泣)

 

少々前半のみ加筆訂正打ち直しましたので、

お暇な方はどうぞ読み返してみてください(泣)

 

えーと、昨日から(繋がり話題で。)引きずり、

過去に選んだ仕事の失敗談を。(全体的にネガティブです)

 

 

 

ヒトには誰しも、アタタタで

イタタタタな過去があります。

ここまでちゃらんぽらんな記事を毎日記す自分も、

過去35年も振り返れば、ネガティブと鬱と怨嗟(恨むだけで生きていた)の嵐としか。(笑)

しかし、それは多分、誰にでもある事(ネガティブとか、誰かを妬んだり恨んだり)なのです。

私だけが特別枠で酷い目に遭ってる訳じゃない。

 

そうなるような生き方や考え方をしていた自分にも、

確実に酷い目に遭う理由があったのですが。

(だからって一生そのままで酷い目に遭わなきゃならない理由は無いから、

まず、逃げてから

生き方や考え方を変えた、結果の今があるという感じですね)

そんな誰にでもある物語をひけらかすのもどうかと思います。

 

しかし、昨日記した「三匹のオッサン」や「出禁のモグラ」を読むにつれ、思い出すことが多かったので、

ただ、吐き出したいだけ、なんです。

同時に、

「逃げてもいい、諦めてもいい。

そこから分岐点で、スタートで一切問題ない(また始めればいいが、諦めて終わりと言う意味ではない)」と、

言いたいわけです。(笑)

ので、こんなありきたりのネガティブなぞ

「知らんわ、んなの、私も経験しとるわ(怒)」とか

思われたら、ソッコー回れ右です(笑)

繰り返しますが、ネガティブな過去(今回は職種)の話です。

楽しくはありません。

 

職歴については過去に幾らか記してますが、実際はかなり大雑把で、

小さなものを上げたらもう少し幾つかあります。しかし、

短かったもの(勤務日数は1ヶ月やら1週間やら)の仕事と言うものは、

 

結局は

「自分には決して向いてない」

「人間関係が自分には絶対に辛い」

その2つの要素があった仕事でした。

それは仕事をするには「必要不可欠な大切な要素」であり、

逆に言えば、

この要素が満たされないなら

その仕事に就くのはよく考えた方が良いのです。

ただし!

「人間関係より高い給料」と

割りきれるヒトは別です。

少なくとも心療内科に掛かっている人間は、人間関係より高い給料を選ぶとは思いません。

極端な言い方をすれば、

(善し悪しあるにせよ)傷つく事に臆病な人間には、「ヒトや物をあっさり切り捨てる」ことは、出来ません。

人間関係を切り捨てても給料を選べるのは、割きりが徹底的な人だし、自分は傷付かない自負があるでしょう(図太いとも言えるが)。

それは羨ましいけれど、私がなりたいとは思えません。

 

 

向いてないと思う(人間関係も、自らの実力も、やる内容も)仕事は、

余程の事情が無い限りは就くものじゃあありません。(と言うか、敢えて選ばない方が良い)

 

※余程の事情(日銭がすぐにでも欲しい日給だとか、職が無さすぎて選べないくらいに仕事しなきゃならないとか。

先日病院で死んだ過激派の、大変迷惑な桐島とか言う人を思わせますが。

其くらいは選ぶ余地がない仕事に就くと言うことは)

合わない仕事をする、と言うのは、

それだけで、

回りに迷惑をかけたり、

回りから軽視されるからです。

(この場合、

自分以外の回りのヒトは、

その仕事に向いているヒトです。

だから向かない人を「使えない」と酷く軽視するし、

いずれは攻撃します。

楽しいので。

ヒトは娯楽のためにヒトを苛めますから。)

 

出禁のモグラにもありましたが、ヒトはヒトをいたぶるのを楽しむ生き物です。

 

今回は、その(向いてない仕事に、なーんも考えずに就くと録でもないと言う話の)ひとつです。

 

もともと、内向的で(学校卒業の時にはカースト最低の底辺だったので。)母親と居ることとかが普通で、周りに対して素直(と言うより礼儀だけが無駄にあった)だった私は、

ある日いきなり、

母から呼ばれたと思うと

「◯×庭樹園土木で、数日電話番が欲しいらしいから、やってあげなさい。

あわよくば、「社員にしてください」と頼み、勤めなさい」と、

言われます。

 

なんだそりゃと思いますが、数日のバイトにせよ、あわよくば、勤めなさいとは無茶苦茶な話でした。(今思えば)

母親からすれば電話番なんてバカでも出来る。

あわよくば、私を事務職に就けられる。

と、考えていたのです。

 

まず、ここからが決定的に間違いでした。

 

母には私が就きたい職種も理解出来ていないし、

私はその時は勤めたい意思もなければ、

職種にしても、事務職などは私からは遥かにやりたい職種から離れていました。(これでも、商業高校卒業してますが(笑))

 

しかし

この「電話番」依頼は、

母親がよく向かう化粧品店の店主の知り合い(そこが庭樹園土木)からの急な頼みで

 

母とたまには連れだって化粧品店に行っていた私の素行を見た上で

「電話番?ああ、なら、いいお嬢さんがいるわ!」と、

安請け合いした挙げ句に母に電話がきて、

 

母もまた安請け合いして、

 

(本当に録でもない)

 

あわよくば、私が事務職に就けたら、聞こえの良い職種に就けたと思える。(当時は事務職は女性ならば憧れでしたが、私はそうは思いませんでしたが。)

 

誰も彼もの利害で私は動かされたのだから、私の意思は無かったのです。

勿論断らなかった私が一番悪いのですよ(笑)

「苦しいから三日だけ」であろうが労働は労働。

で、バイト程度にと向かった先から

「何を、いつ、どうして、何処までが一つの完了か」も聞かされずに(告げられずに)、電話の前で座るだけでした。

さっぱりやることが分からないので、

電話鳴らないで欲しいと願いました。(笑)

で、最初に「分からないことは内線●番押してね」と言われてたので、

三回やったら、

とたんに

 

「あんた、仕事やる気あるの?!」と

依頼してきた会社(有限会社と言うか自営)奥さんに言われまして、

逆に、今ならば

「電話番とのことですが、

具体的に何と相手に応対し、

どんな内容なら何をメモし、

何の時なら内線を使うときでしょうか?」と、

言えると思います。

この例はまさに

大雑把で、何でも流せる、適当が出来る人間でなくては勤まらない職種でした。

ふてぶてしく図々しくなくては勤まる仕事では無かったのです。

少なくとも、細かいことが目についてしまったり(事務所が汚くて、すごい嫌だった)

自分は役に立たないから、他に何か出来ないか等と

考えてしまう人間は絶対に無理でした。

 

大体、庭樹園土木とは土木業界であり、その中で事務やっても、

性格はある程度強かで無ければ生きては行けません。

母も、その知恵は無かったし、

私は、毎日どかどか帰ってはタバコをふかしまくる土木作業員のオジサンオバサン相手に

無理だろうけど、もう少し頑張ったら馴染むのかな?と、思うあまりに

既にこの時には私は病んでいたのです。

働き始め三日目辺りに、

件の化粧品店の店主に偶然逢ったときに

 

「あそこの奥さまは好い人だからね」と言うのですが、

仕事に対していろはを教えず、

茶道を楽しんで、人に「善悪」を偉そうに語る、

「その奥さま」は私には好い人には思えなかった、のに、

「そうですね、奥さまは(こんな役に立たない私を雇ってくれたのだから)好い人ですね。」と、答えてましたが、

その時とても私は涙目でした。

 

あのときの事は忘れませんし、今なら

 

心から、自分は向いてなくて嫌だと気持ちは叫んでいた、

のだと、わかります。

 

 

いかんせん、若かったのと、まだ母とは依存が強かった頃であり、

ここから約一年あとには私は心療内科に係り、病名を貰い、以来薬を飲むことで、

ようやく社会と言うものや、人間と言うものについて深く考えるに至ったのですが。

薬を服用しなければ、視野を広げることすら出来ないほどには、

 

社会も怖く、対人にも障害があったのです。

 

土木事務職なんてとてもとても勤まるものでは最初から無かったんですよ(笑)

数日経過したら、その「好い人奥さま」からじきじきに

「貴女、やっぱり要らないわ」

と言い渡され、

皆がまだ外で作業してるうちに

「要らないと言われましたから辞めます」旨の手紙を書いて辞めました。(笑)

彼のときはスッキリしたなあ。

社長からは後に電話で「若いし出来れば居て欲しい」とは思われてましたが

単純に若くて、また「使いやすい」のが理由だったのですが(笑)

奥さまはそんな所も私が嫌いだったのです。(女はもっと実力主義だし、嫉妬深い。

怖いねえ。(笑))

 

仕事をし強かに生きるヒトには、生易しい環境で大人しく生きる女とは、実に可愛くない苛めたい敵です。

三匹のオッサン(先日の)は、その典型的な話を題材にしてました。

 

つまりは、何処でもあり得る話。なのです。

 

私のこのバイト?の話はこれでおしまいですが、

誰かに促されたり、責任の無さだけ追求したり、時給や給料だけでは仕事を選ばないで欲しいです。

多少の難は何処にでもあるけど、「何かのせい」にして、後々恨んだり

「自分はとても可哀想で犠牲者」だと訴えたり愚痴るのも、自分を惨めにするだけです。

 

自分がその仕事を選んだことを

自分で責任取れるようになって欲しい。

で、自力で居場所を確立し

自力で学んで実力にして欲しい。

 

そうして、その合間にも、

人間関係を構築し(最初から拒否のヒトいるけど。)

楽しい職場になっていて欲しい。

 

 

18から仕事していて30年弱、

私が今、今までの経験から

「これから仕事選ぶヒト」に、

言えるのはこんなものです。

 

 

さて、長い話になりました。

 

明日は

 

なかなか凄い話など記したいと思います(笑)

 

 

(オマケ)

 

ちなみに

このバイトは1週間で辞めましたが、ちゃっかり給料は貰いましたよ。(笑)

 

仕事らしいことはしなかったけど、変わりに事務所を朝から夕方まで無茶苦茶掃除したから。(もう、タバコヤニが凄くてね?!)

 

まあ、

嫌がらせで、電話来たから給料受け取りに行ったら

作業員全員揃ってて(わざわざ揃えたのですね)、

皆からそりゃあもうじろじろ見られてましたけど。

(これも最後まで酒の肴みたいなものですね、彼らからすれば

今の私には、彼らが憐れでならないだけだけれども。)

 

しかし、急に頸になったなら、

貰うものは貰わないとね。(笑)

(今思えばあの職場はパワハラモラハラです。

訴えられるなあ。ちなみに他にも訴えたり出来る仕事は他にも三つくらいありますよ。

ただし、今なら。です

昔はパワハラモラハラみたいな言葉も通用しませんでした)

 

後日、別の仕事に就いてるとき自転車漕いで出勤の最中、

雪の中で石を運んだり、

真夏に草を刈るみたいに働く彼らを見掛けましたが、

「大変だなあ」とも「お疲れ様」とも感じませんでした。

自らその仕事を選んでいるのが彼らなら、それに大して何を思う必要があるでしょうか。

 

やはり、私には彼らの仕事は憧れないし、

それを助ける彼らの事務所の事務職もまた、

私の望みの仕事では無かったのだと思いました。

 

 

 

仕事に対して

自分は被害者だと、強く恨めしい被害妄想に囚われる前に、心が壊れる前に、嫌な自分になる前に、

 

自分から捨ててください。

 

 

そうして、再び選ぶ沢山の道も

間違いなくあるんですよ。