39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

お薬ですよ。

膝が痛む(違和感から、時々痛み、時々ペダル踏めない時あり。)のを、

これ以上は放置するより(市販薬で騙し続けるより)原因や悪い部位を特定するべきだと、腹を括ったのは昨年だったが、

いかんせん病院に行く休みがなかなか上手く取れなかった。

 

しかし、休みは最早「ぶんどらなきゃ」病院行くのは遅れる一方で、自分が外面を気にしている間にも身体は徐々に傷んで行き、

苦しむのは結局自分だけ。(そしてそれは誰が見ても自業自得(笑))

に、なるのは目に見えてた。

ので、

数日前から記してましたが、

数日前体があっさり動かなくなった(前夜からその傾向があった。

翌日「あ、ダメだコレ」と、あっさり仕事を断った)と

同時に、

 

「よし、あちこち悪すぎるのは自覚あったことだし

もう整形外科も行こう、

この際悪いところ全部診て貰い、

悩み自体を取り敢えず特定して潰す。」と、

決めました。

 

その日

「体が無理だと訴えているし、

今日仕事に行ったとしても、

塞ぎきった気持ちが今日中に回復する可能性はほぼ、無い(更に仕事はその翌日まであったのだから。)」と、

 

燃え尽きが自覚出来たときに、

 

 

「私は今から体だけを惜しむ」と、他を割り切った感じです。

※気持ちが塞がったトドメがあったのですが、それは後日記します。

あくまでトドメであり、蓄積は多方面からあったのです。

年末年始実に多忙でしたから、自覚はあったんですよ。

 

※勿論休むのはある程度回復するまでの限られた期間の話ですよ(笑)

※永遠に休める道もあった(仕事を辞めれば良い)けど、選びきらなかったのは最後のあがきに近いでしょう。(それくらいは塞いでいて、倒れてしまいたかった。

実際、

辞めようか?とも考えた。

ちょっと本気で。(笑))

 

さて、毎回の長い前置きはここまでにして(笑)

 

私は午後イチに整形外科に予約なしで挑み、

87番目と言う良いのか悪いのか分からない数字の順番になりましたが(末広がり八なんだか、福の七か。(笑))、

 

整形外科なんて、五時間待つのはざらだと思ってたんで、勿論小説持参で待ちましたとも。

 

しかし、案外サクサク行けたのは初診では無かったからですね(それでも七年くらいは前かな)。

 

熱の測定

問診

レントゲン

先生待ち

レントゲン説明(メイン)

リハビリ(メイン)

注射(メイン)

何れの項目の間にも「待合室でお待ちください」が入りましたねー(笑)

この間がね(笑)時間かかるんだな(笑)

しかし、看護士さんや事務員さん、先生にはこれが最も効率が良いのだと思います。

 

現場の人がそれが効率が良いのなら、患者は従う方が間違いなく良いと思います。

 

少なくとも、病院では患者は「お客様」では無いですからね(笑)

 

あ、膝は

骨も軟骨も問題なく、膝棚の炎症でした。

 

有り難くないけど確実に速効性で効果がある猛毒のステロイドを粛々と注射され

(リハビリ通いも薦められましたが、

仕事しながらリハビリも日常もこなすのは、

少なくとも今の自分にはまず絶対に無理)

 

でね

三日間運動禁止されたら、

もう、遊ぶしかないよね(笑)と、

割り切っていた待合室で、

 

隣で一歳位の子供を抱っこしていた母親が、仲良く楽しく会話していた。

が、

 

突然子供はバランスを崩し、前に設置されたソファー(固くはない)に顎をぶつけたらしく、泣き出した。

 

前々から記しているが、

私は自分が子供だから、

子供は苦手な方だ(苦手なだけで嫌いとは言わない、ガリレオの湯川教授だね(笑))。

だから、泣いていても

 

「泣いてるな」

と言う感想しか出ないし、

前方向いたまま、そちらに目を向けなかった。

子供は純粋に痛みを訴えた。

「痛いよーママー痛いよー、痛いよー!」

それは、とても分かりやすく耳に飛び込んで

「お母さん、痛いよ、痛いんだよ、ねえ、痛いよ」と、

私の頭を揺らした。(ダイレクトに響いた。

成る程、これが「響いた」なんだなと実感した。)

そうか、どれ程痛いか、痛いのが辛いかを、子供は母親に訴えるのが仕事だ。

 

痛みの過程で、言葉に出来ないものは涙が出てしまうと、更に痛みを感じてしまう。

 

涙とは悲しみを増幅させるし、次から次に出ると、

痛み故の涙だと更に痛みを増幅する(気がする)。

 

子供の涙は、とても純粋だと、考えながら

(子供)隣を見たら

純粋な大粒の涙を流している子供と目が合って、それは急激に

「そうか、こんなに小さいんだもんな」と、

考え直していた。

 

すると母親は、子供をあやしながら

「そうだねえ、痛いね、痛いよね、痛い痛いだね」と、

一生懸命子供をあやすが、

子供は「痛いよママ痛いよ」と

言って泣き止まない。

 

回りの患者の若者から、ばあちゃんまでもが子供を見ていて、

皆、可哀想に、と言った苦笑いと、

憐れみ宥める方向で

「可哀想にねえ、

おばあちゃんとお話しようか、

痛いよねえ、痛いよね」と話している。

 

ちょっと、皆様どうしたの。

 

と、思えた。

 

昔なら。

 

痛いの痛いの飛んでけだよね。

おそらくぶつけた激しさ見ると多分もう痛みはない(後に痛みは出るかもだけど)

なら、

痛いよね、と、繰り返すのは

 

つまり、「共感する育児か」と思った。

 

確かに「そんなの痛くないだろ」だと、

やってしまえば頭ごなしな育児になるだろう。

少なくとも今ならば。(必要性皆無とは私は思わないけど)

 

子供の心に寄り添い、痛みを分け合ってあげるのは優しくて良い育児だと思う。

でも

回りまで助長するみたいに「痛いよね」を繰り返せば、

既に痛くなくても痛く感じてしまう。

痛みをずっと感じて泣いてしまう子供は可哀想にはならないのか、

と考えたものの

 

いや、もう、母親に抱っこされてるだけでも優しさが十分に子供を包んでるなら良いのかな。

と、割りきり

皆とは明らかに違う方向を見ていたけれど、

受付で名前が呼ばれたから、支払いと調剤紙を受け取りに、

母親と子供の前を通ろうとしたのだが、

 

子供が泣くのは、結局勝てないんだよ。

通りすぎる間際

母親に抱かれた子供の頭を何回か撫でたあと、

「もう痛くないよ」と

話しかけた。

途端に、子供が泣き止み

何故だか母親にお礼を言われた。

 

自分がやったことは明らかに人が違えば迷惑行為だけど、

撫でるのは、

まあ、見逃して欲しい(笑)と願った。

(本当、最近は母親ガルガル状態が普通だから)

 

共感は大事だけど、

取り除いてやる。と言うお母さんの凄さも結構有効ですよ。

 

お母さんの(お父さんの、両親の)言葉は、子供には魔法の言葉だからね。

 

 

前に言葉は刃と書いたけれど

言葉は薬にもなるからね。

(屁理屈言うなら、呪いと祝いは近いと言うこと。(笑))

 

 

さあ、明日はアフタヌーンティー食べに行こうかな。

少なくとも、先生から膝の説明受けて私にはそれが結局薬になったんですよ。

原因も悪い箇所も明確にわからないまま、ずっとストレスだったから。(膝にも骨にも軟骨にも異常なし、ただ膝棚が炎症を起こしていた)

 

ちょっとだけ楽になったら、次は楽しみ尽くして後日心療内科向かいます(笑)

 

 

病院出たら、日は暮れかけてました(泣)

 

三時間かかったなあ。(泣)