39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

共感しやすいお客様。

さすがに、二日連続でミスはやらないですよ(笑)

つか、しませんね。

断言するのは、どんなミスで傷付いても、それは翌日の仕事やお客様には無関係だと、スッパリ断ち切るのが私だからですよ。

(やったにしても、更に翌日はやらないと、切り替えることも出来るの。

先日みたいなでっかいミスをして、スッパリ割り切るにしても確かに半日くらいは掛かるけれども)

慌てず、騒がず、

しかし、決意は新たになる。

つまりは、

昨日はミスをやらなかったし、

さりとてバリバリ巻き返すような真似もしませんでしたよ。(ガス欠になる。)

 

でも、

お客様が良かったからです。

 

私が一番相手や話をしやすいのは、

熱いお茶が好き。

美味しいものが好きなことを隠さない。

板前に誉め言葉をくれる。

大体上記の一つが当てはまると、

漏れ無く親しみが増して、私が饒舌になります。

(当社比(笑)

一割から二割(笑))

私は珈琲を飲みますが、三十半ばくらいまでは、お茶派でした。

(カテキンやカフェインで体に支障が出始めてからはかなり制限してますが、

それでもお茶は大好きな茶婆だ。

だからこそ、美味しい茶の淹れ方は心得ている。

あくまでも一般的の、だが。)

 

お客様が「美味しいお茶が飲みたいわ」と言うなら

「はい、お任せください(笑)」と言えるし。(実際にあったことよ(笑))

で、次の「美味しいものを食べている表情を隠さない」人が好き。

 

スタバとかでたまにスーンと飲んでる人見かけるけど、単純にポーズを取りたいか、自分のスタイルや姿勢を見て欲しい人なんだと思う。

ポーズがポリシーなのは構わないけど、

凄く「回りとかどうでもいいから、飲んでるだけだから、ほっとけ(いや、絶対近寄らないけど)」オーラが強くて

近寄りがたい。(近くに座るなと言うオーラが凄いからね)

そういう人が食べてる飲んでる物が

凄く不味そうに見えて仕方がない。(勿体ない)

 

スタバは置いといても、

 

高いもの食べに来てるとき

美味しいなら、美味しいと言えば良いのに

無表情だったりすると

「え、まさか、不味いのですか?」と聞きたくなるでしょ(笑)

私たちは頑張ってるし、定評も星も高いしね。怠ることもない。

 

家庭でも同じじゃん。

頑張って作ってるご飯をムスーと食べられたら嫌だよ、誰でも。

 

特に外食なんて、食事に腕を奮ってなんぼなんだから。

聞きたくなるでしょ、

言って欲しいでしょ

「わあ、美味しい」って。

でもそれは、心からそう思えたらでいいのよ。

何も偽善をやれとは言わない。

 

だから「わあ、美味しい」と言う本音があるなら是非聞かせて欲しい。

だから、私は外食では惜しまないのよ。

美味しいものに対する感謝と「美味しかった」を。

 

で、ラストは個人的なことだけどね。

社長がさ、

誉めないのよ。板前を。

板前があんなに頑張って、回りはそれを支えたいと思えるほど慕われてるのに、

気付いてくれないか、見てみぬ振りをしているのよ。

 

私は、頑張っている人だと感じたら言わずには居られないのに(それは病気の症状から来るにしても、多分、それだけじゃあ言いたくならないと思う。)、

払ったんだから敢えてと言うか、

当たり前に胡座をかいて、

言葉すら惜しむのは大変「面倒臭がりだなあ」と、思う。

最も代償が必要がなく、最も気持ちが籠る大切なものだ。

使わなくてどうするの。

つか、日頃何を使って人を労ったり感謝したりするのだろう。

まさか、言葉を面倒臭がって、何もしないは無いよね?

 

ああ、使っちゃったらだだ漏れになるからですかね?

言葉には様々なものが宿るから、特に人間性とか無茶苦茶分かりやすいですよ。

 

使い方、選び方、音、速さ。

 

だから、私は言葉を惜しまない。

 

私のことは、分かって欲しいから。

 

(勿論、相手は選ぶ。善し悪しの判断も聞き手に任せる)

 

昨日のお客様は、その全てがあった。

「板前さんに、美味しいっつつて伝えてほしいわ」と、

言われたときに

「はい!きっとお伝え致します、ありがとうございます!」と、もう反射的にね(笑)

踊りたくなるくらい嬉しかったし、

すぐ伝えましたよ。(笑)

何もかも美味しいと言ってくれて、

お茶を何杯も飲んでくれて、それで板前を誉めてくれたなら

 

そりゃもう、私は、ニッコニコのハチワレみたいでしたよ(笑)

 

これは↑は

親友が東京にて撮影(笑)

本当に、いつでも、「なんとかなれー」ですね。(笑)

 

笑顔で最後まで送り出し仕事は終了しましたが、

やはりそんな日は気持ちもリフレッシュするものです。

 

(まあ、一時的なんだとは分かってますよ。それが鬱病ですから。

 

感情の幅に起伏があるのよ。

虚無で何も感じなければ、嬉しくて泣くこともある。

私は別に泣かなかったけど。)

 

でも、

ひどいショックから立ち直りきっては居ない私には、大変沁みた。

(別に立ち直ってない訳ではないけど、

ちょっとしたことに、小さな臆病が付きまとうようになった。

何回も確認するのは悪くないことだけれど。

 

しかし、これも一時的なものだと分かっているから

今は臆病でいいかと、放置している

 

そんなに長く臆病で居られるほど、小さな肝ではない。)

 

 

どうぞ、また、お越しくださいませ。

(^ω^)