39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

素敵な大人に。

母との共有で(テレビ番組を)今年初めて観た番組は、

毎年恒例「はじめてのお使い」スペシャル見てました。3日の夜の話のこと。

※1日からこちら毎日観る北陸のニュースは別です。

 

2日の午前中は、鬼滅の刃無限列車編を観て、泣くのを堪えたり等もしてました。

 

母が居ないときしかチャンネルが自由にならないのもあと数日とか数えてました(笑)。

 

無垢な子供の突拍子もない行動、

予測不能な気持ちが

いちいち胸を打ちます。

 

子供たちが出掛けて行くたび、

弟や妹を引っ張ろうと努力する兄姉ちゃんが、もう、頑張り屋さんで、

泣けて仕方がないのですが、

私は大人げないおばちゃんなので、

 

兄姉の努力に答えずに帰りたがる泣き出す弟妹を

「姉ちゃん(兄ちゃん)手伝ってやれよ。(笑)」と、

突っ込みかけます(泣)

 

それも恐らくは、

妹弟側は過去の私

姉兄側が今の自分と言う

投影を通し、

過去の自分のマイペースさが甦るんですね(泣)

勿論番組の中で頑張る小さな子供たちにはひとつも罪は御座いません。

ただ、羨ましいのだと思います。

大人になれば、人の目を気にして、いかに悪く見えないように振る舞うかを覚えて計算してしまう。

必要なことを身に付けるたび、縛りが出来てしまうから疲れてしまう。

 

 

マイペースって、今現在なら個性で充分な魅力になりますが、

 

昭和の昔は「寄り道ばかり、道草ばかり、回りと歩調合わせない」と、度々(母に対して)連絡表に書かれたり、

 

「皆●●してるのにどうして貴女だけやらないのよ、何でなの?!」と、

指名つきで当時の学級委員からホームルームで、責められるなどざらでした。(笑)

あくまでも私が小学生の時の話です。(笑)

(あの学級委員はまっすぐそのまま大人になれたかは甚だ疑問)

 

しかし、当時のマイペースは私は、

劣化のごとく「前へ倣え」と言ってくる人は

「詮索ばかり、どこで私をじろじろ見てるんだろ」と思う程度で、

 

「道草しても、家にはきちんと帰る。

その時やらなくても他の時にちゃんとやってる」

と言う、補完が頭にあるので、

 

寧ろ赤の他人がプライベートに、別の他人事を監視し、

勝手に怒り心頭になる方が恐ろしかったです(笑)

だから、うんんざりする相手にだけ歩調合わせて、他はやはり自由でした。

しかし、時や場所が変われば、倣うものも変わる。

中学生となり、だいたい団体行動を学び皆と何かを共有する喜びを学んだが、(だから中学は楽しかったかなあ、ただ上下級生の礼儀は面倒だったな)

これが高校となると、

全ての生徒は全てカーストの所属で上下関係を押し付けてくる。(しかも、いつのまにか地位が決定してるし)

その上位の人間は大変自由だし、

個性ばかりだし、その日の気持ちで右にも左にも気分が変わる。

だが、従わねば学校生活が静かに終わらないジレンマがあり、

多分ここらで「自分のみの勝手と自由にしている(ことに優越感を覚えている)人間と付き合うことは無理」だ

と言うトラウマが出来たわけです。

自由にしているのに、それを抑制するはずの(少なくとも、私の幼稚園や小学生時代の)先生も学級委員も居ないのですよね。

マイペースは淘汰され、皆と足並みを揃えるのを覚えてきた自分にすれば、

理不尽極まりなかった感じ(笑)

好きにして、人を虐げる個人を、教師も生徒も止めない(善いことも悪いことも止めない)。

虐げられた人間にはトラウマ

虐げた人間は自由な時期だったのですが、

 

社会に出てもそうだったかは分かりかねます。

絶対的な会社(就労)社会と言うものに「最初から自由」であり

「最後まで自由」であれた人間は、多くはないでしょう。

能力だけでも、性格だけでも上手くは行きません。

勿論外見だけでも上手くは行きません(若干贔屓はあったとしても)

 

敢えてならば父母親戚のコネは物を言います。(これだけは、政府構造、考え方からしても、未来永劫変わらないのだろう。

皆、自分が可愛く、自分の血の繋がりだけが可愛い。)

 

お使いと言う物を通し、こんなに小さな子供たちが、

ひとつの事を最後までやり通そうと必死に頑張るのは、

自由と矛盾と理不尽と血の繋がりとに向かい合う姿は

 

真に尊く可愛らしく立派です。

本当、可愛んですよね。(笑)

口を開けば「可愛い」とか「頑張って」としか言葉が出ない。

 

彼女らの数ヵ月後とか出ますが、たった数ヵ月で姿も心も変化し、

しなやかとはこう言うんでしょう。

 

私も漏れ無くしなやかに変化してきた筈ですが、

極端に自分を痛め付けて曲げ、

人様を恨みながら成長した故だなあと思えます。

まさしく、

私の場合は自業自得ですね(笑)

 

だからこそ、自由に成長し美しい彼女(彼)達を見る度

 

それは多分私の憧れの形だったのだと思います。

 

自由で居たかった。

しかし、面倒を避けるために己を曲げて行く度生きて行くのも働くのも辛くなってました。

 

でも、曲げたのは私。

人のせいではなく、自らがそうしたのです。

 

自由を曲げず貫いて、変わり者でも自らに素直にまっすぐ歩く道も

間違いなくあったのですから。

私はマイペースだったけど気持ちが弱く日和って捻れて、

小さなあの子達(番組の中の)は、

自由で尚、心も気持ちも強かったと言うだけです。

 

自分のやりたいようにやっているだけじゃなく、

日和ってしまう事もなく、

優しくまっすぐ頑張ってる後日談を観ると、

 

ああ、このまま素敵な大人になってほしい。

と、思います。

 

ちなみに私のはじめてのお使いは多分小学生低学年でした。

 

五つとか二つのお子様では無かった!

なんか、それだけで。

涙ダバーと出てくる(泣)

お金の価値、セルフレジの画面の文字すら判別つかないのに

「毎日、お母さんを見ているから分かってる」のが偉すぎて!

 

愛すべき子供たちとはこれですね。

 

 

様々な過程を経て大人になっても、私も結局後悔ばかりしてる生き物にはならずに生きています。

思い出して怒りを吐露はしますけどね(笑)

やり返そうとか、愚痴をただ語り合う茶会も考えないし。

 

寂しかった捻り曲がった時間は、今が楽しければ、

これから先が

自分次第で楽しくして行けるなら構いません。

 

頑張って純粋に頑張る子供達を観てると羨ましいけど、

 

結局は癒されてます(笑)

 

 

明日は、

パートナーと話が出来ます!

 

はじめてのお使いは何時だったか聞いてみようかな。

 

北陸のニュースが、辛くて歯がゆくても、災害の規模や救出作業、現場の人の声を聞くため、しっかり観てます。

昨日助かった命がある。

それなら今日にも助かる命があるはず。

 

今災難に遭った子供達が数年後何を語るかは分からなくても、

痛みと悲しみを知る逆境を耐える子供になるだろうとは、東日本大震災の時に子供だった人の言葉です。

 

しかし、強くなるのと、

傷ついているのは

また別物です。

 

心と言うものがどれ程傷つきやすく柔らかく繊細かを私は知っています。

 

 

大人でさえ挫けかけても「それでも動かなきゃね」と頑張っている。(ニュースで見ました)

 

そんな踏ん張っている折れないで頑張る大人の背中を

 

子供は間違いなく見ているのです。