39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

感情について深く考えてみた。

いや、勿論某歌のタイトルのパクりですけどもね。(笑)

あと、若干長いです(泣)

もう少し短くと、毎回思うんですけどね(泣)ごめんなさいね(泣)

昨日記した記事と、やはり繋がってしまうんですが、

結論や納得出来ないと追求する厄介な性格なんですよ。

そして、やはり漠然とした恩師の言う

「会えばわかる」

と言うのが、余りに不確かなのに

(会うための)計画だけ立てて良いものなのか、とか。

ランニングしながら考えてました。(笑)

相変わらず二回に分けて走ってます。

でも、疲れやすいです。

病み上がりとはこんなものでしょうか(泣)

 

コロナや母との爆発(最早激突だ、私からすれば)の最中は当然走れてませんから、

体力戻すのは一月は見積りしてます(泣)

 

走るとすぐ疲れて眠くなる。

それはまだまあ良いのですが、(疲れたなら休めばいいのだし、病み上がりの大義名分があるから

私は休むときはキッチリ決めて休みますので)

爆発以来元々そうは豊かでない感情が、

ますます起伏が乏しくなり、顔から表情が落ちたかのようになり、虚しさを覚えてるし、

やはり人の話を聞くのを億劫に感じたりなどしてます。親身になれてません。

 

爆発による一時的な感情の燃え尽きだろうなとは思っているものの、

これ元に戻るのかなあ、とかぼんやり考えてる自分も居ます。

 

やっぱりさ、反抗期しといた方がいいですよ(笑)

怒りや不条理や不満とかは小出しにしといた方が、でっかい爆発にはならないからさあ。(泣)

状況があっても、

依存が親と激しいと離れるとき物凄く辛いか、物凄く悲しいか。

どっちにしても楽しくないじゃないですか。

親離れは大切な儀式だから、普通なら親も自分も気持ちを新たにする良いものなのに、

親と離れることが苦しいとか辛いとか、

思わせたくないし、思いたくないじゃないですか。

 

 

本当に、私は間違ったとは決して思わないけれど

私が放った言葉のお陰で

最近母が心労的な意味で体に障っているんですよ。

それでも、

「言わなきゃ良かった、やらなきゃ良かった」

とは思わないんですよ。

叩き付けて溢した物は戻せないし、あのままなら幸せだったとも思わない。(飼い殺しに相応しい)

後悔なら私は生きてきた中で山ほどしてきたけど、これだけは後悔しない。

とは言え、言いたいことを言えてしまうと、うっかり本音を言いやすくもなるんだよね。

だから、爆発自体もう封じたいけど、度合い次第なんでしょう。

ブログを打ちながら楽しいときには私は口元が笑っていたこともあるのに、今はそれも無いです。(笑ってるならそれはそれで問題あるだろ(笑))

無気力では無いのですが結構必要最低限です。

 

基本的に忘れやすいし疲れるのは嫌いだしいろいろ面倒だとは思っているのですけどね。(笑)

しかし、面倒でもやらなきゃならないことはあるし、面倒をクリアすれば爽快だし、

疲れなきゃ楽しめない美味しいと感じない食事もあると知っているからやってますよ。(笑)

だから、私のやっていることは基本的に私には必要な事だけです。

ですが、マスクあるのを善いことに実は無表情なんですよね(笑)

便利だなあマスク。

ランニングは惰性に近いです。(笑)

暇だと無為な日々を送るんですよ私は(笑)

 

寂しいと言う感情を詳しくわからない余りに検索した。

と、話すとパートナーから酷く驚かれたのですが(笑)

そんなに、驚く事かな?!(笑)

で、ついでだから、

他に(感情が)分からないことは無いかと考えたのですが。

好きとか嫌いとか苦手とかはあっさり分かる。

取り分け嫌悪に属するものは分かりやすいくらい分かる。

憎しみや悲しみも顕著。

過去に現在にどれだけ嫌悪感情を多彩に抱いて生きてきたかが分かりやすいくらい程に分かる。

しかし、嫉妬。

これについては分からなかった。

嫉妬の対象が今も昔も無いからだと思う。

羨望なら沢山あるが、それは憧れに近い。

 

こう記せば、学園カーストの底辺が嫉妬を知らない筈はないと思われるかもしれないけれど

人にランクをつけて自らを上げて、足を広げて飯を食う女子や、

他人がつけたランクをそのままコピーして自分たちより細く小さい女子を嫌煙するのを楽しんでいた男子に対して、(9割の女子がやってるから前に習う男子、自分では何も考えてない)

どうして嫉妬が生まれますか?

むしろそこで嫉妬が生まれる方が可笑しいでしょ。

 

妬まなきゃならない相手などでは無いですよ、

むしろ、反面教師になった。

ただただ、嫌いなだけですよ。

あと、無関心。

習いたい部分が無いから。

学生の時から今に至るまで「あの人が妬ましい」と言う感情はほとんど無かったですね。

こちらに関わらなくて構わないのに、

気付けは構ってくるのは必ず彼方の方だったし。(絡んで下げたり、便利に使うとか)

 

集団性を身に付けようにも、中学生なら義務教育だけど

高校生だと最早破綻してるでしょ?

教師からして「義務教育じゃないから放棄」だったし。

 

しかし、親友Sに話して分かったのは、嫉妬は遠いどうでもいい人ではなく、むしろ近しい人に湧くのだと言う。

話を聞くとなるほど合点が行きました。

スクールカーストの上位とか苛めてくる人は既に視野にはなく、

彼女の場合

近くの友達が仮に五人いたとして更にその中で一番好きな人に(ちょっとした誘いに)最初に選ばれなかったりなど。なるほど、身近で親しい故にか。

と考えたときに、

自分が同人活動していたときに(学生時代)、確かに自分より声をかけられてた先輩に腹か立つことがあったなと、感じました。

でも、

時代は変わるので、私が同人誌をコミケやオンリーに出しに行ったりオンラインやってるうちに、彼女は所謂時代遅れになりました。

そのうち私はコミケ等大型主力のコミュニティと友達になり、ひたすら絵を描くことや上手くなる努力を彼女たちと楽しみ、先輩を忘れました。(コミュニティの人たちは本当に勉強させられたから嫉妬自体ありませんでした。

なるほど、嫉妬は遠い人より身近とは、分かりやすいですね)

先輩がオンラインを始めて(毎日アクセス数をメールしてきたり)も気にならなくなったのは、(先輩もまたこの時、友達が居なかった)単純にジャンルが違えば客層も変わると発想を転換出来たからです。

 

嫉妬には怒りが付き物ですが、

ドロドロしくて争いから一線退いていたのも有るからだと思います。争いたいなら努力次第だと思うようになった切っ掛けです。

 

恋愛に対しての嫉妬。

単純に、

私は自分が嫌いだったから(今も、好きではないけど。昔ほどじゃない程度にはましになりましたよ。)恋愛も無縁で終わるつもりでしたから、

社会人に至っても嫉妬は無縁でした。

だから、恋愛と言うより基本的に好意を持たれている状態の延長でした、

ので、長続きしなかったんですが(笑)

 

私が嫉妬するならば、パートナーが誰かに奪われたりとかした場合必ず発動しそうですが(笑)

それは最早あり得ないので。(断言)

(パートナーに、

法事の時に、親戚とかから見合いの話とか振られなかったか等と聞いた私もかなりバカなのですが、※本当に不謹慎

パートナーはにっこり笑いながら

「この年齢になると、さすがにもう無いですよ(笑)

皆様ちゃんと付くものが付いてますし(笑)私は完全に行き遅れですから。

私に貯蓄や財産あっても、

知らない親戚とかがいきなり私を選べば気づきますし

私だって相手を選びますよ、

選んだでしょう?(笑)」※私をね。)

と言う感じでした。

このパートナーにも嫉妬と言う感情を感じません。

或いは私にも彼女にも、多分昔にはあったかもしれないのですが、

忘れてしまったんでしょうね。

 

嫉妬がある方が競争本能は逞しくなるのかもしれませんが、

 

私もパートナーも、競争がまず嫌いだし面倒だし(笑)

しかし、必要な時は本当面倒だけど本気でやるんですよ。(本当に!際どくなるまでやりませんが。)

私は論破で打ち負かしたのは過去に二度か三度(証拠から何から揃えて準備した上で。大変恨みを買うか、相手に謝らせるかまでやりました。)

パートナーは多分私よりもっと少ないし穏便だと思います。

 

※私は恨みを買いましたが、恨みがましく手紙まで寄越す相手には正当に対峙して、正当に仕事を辞めて頂きました。

人を恨んで呪うなら、それより先に対処を考えるとか自らのやったことを考えるのが先なのに、

彼女は自らの墓を掘る方を選んだので、今も幸福では無いようですが。(蛇足)

 

 

で、

愛情。

これについては、

 

一生の内で分かって良かった。

そう感じてますよ。

それこそ一生縁がないと覚悟していたもので。

まさかの三十代後半からかあ、

しかし、年齢は関係ないか。とも。

 

で、これも蛇足

どうせなら、様々な感情一回は知っておけば派生してあらゆる感情を習得するんだよね。

感情はスキルじゃないけど、人生は豊かになりそうだ。

とは言え、

嫉妬は、今のところ邪魔だから

まあ、要らないかな(笑)

 

競争心なら、仕事でもっともっと学んでからじゃないと今の私には早すぎます。

 

無表情や無気力だけど、大概それはイコール何も考えてない訳じゃない。

人にはオンオフが有るように

必要なら発露するし、誰より必死にも動く場合がある。

 

好意。

私の好意の範囲は狭く浅いが、大切にしている。

こちらにも一線があり踏み込みすぎないように会話するのが大切。

共感した相手にしか私は好意を示さない。

 

何よりまだ分かっていないのは

 

何度も記しているが

「自分を愛すこと」。

イメージが出来ていないし、出来ない。

素のままの私は、愛せるのかと問われたら

「何処を、何を?」と聞き返すだろう。

 

ただ、さっきも書いたけれど

 

昔ほどは嫌いではないのだ。

私は人に嫌われて当たり前の要因が確かにあった。

それに気付かされ

それから改めて行くのに二十年は掛かっているし、今もその過程なのだ。

 

少しずつましになりながら、

いつか

「そうなれた」自分になったときには

私は私を愛せるだろうか。

 

具体的なものやイメージが出ない内は、恐らくは手探りなのだろう。

及第点が異様に高すぎるのかもしれない。

 

幸せ。

幸せになりたいとか

すべてを手に入れると言う言葉を聴くが、具体的でないこの言葉は傲慢だと私は思っている。

実はある程度満たされていれば人はもう十分幸せなのだと知っているから。

 

でも、まあ、良いのだろう。

幸せの自覚など、結局自分で感じたか感じないかで到達点は違うのだ。

 

私は真綿に包まれている自覚がある。

とうに、幸せに至っている自覚がある。

 

その相手に「昨日よりは自分はましだと思う」と言えるのは

言える相手がいることは

 

誰にでもが手に出来る

享受出来る幸せではない。

私の不安をそれこそ根こそぎへし折るパートナーだ。(笑)

 

 

燃え尽きた感情が一刻も早く戻り

 

私も笑顔で向かいたい先がある。

好意を持つ人のいる場所、皆と話がしたい。

 

 

不安。

世の中大多数はこれを抱えて生きているが、私も薬がなくては落ち着かないだろう。

しかし、満面笑顔でてきぱきしゃきしゃきしてる人がすべからく楽しく幸福に生きている訳じゃない。誰でも内側はわからないのだ。

だから、私も不安を人に移さないように、人を困らせないようになるべく笑っていたいし、頑張っているひとを応援したいと思っている。

 

今はまだ声を拾いに行けなくても、気づける自分になりたい。

 

感情については、軽くこんな感じで実はまだあるんですが(笑)また次の機会に(笑)

 

↑詰めを謝り若干焦げた、昨晩の餃子。

 

考え事は結構だけど、

調理中は止めよう(笑)

 

美味しかったから良いけども!!(笑)