先日、マッチングなんかしてない。(詐欺メール)の記事を記したばかりだけど、
実際にやはり事件が起きてしまっていた。
ニュースに愕然とする。
60代の男女がマッチングすると言うなら、大概はどちらもが激しく依存心があるだろうとは予測できた。
国民年金の延長問題、
支払金額が減額される問題、
更に児童手当を手厚くする問題(だから、負担額増額と言う理屈、
しかも年収に応じてだ)高齢者初段階(50台後半から60代半ば)が、
これに対して不安にならない筈がない。
誰かに養われ、楽に生きたいに決まっている。
だがそれは、相手も同じだ。
女性だけが男性さえ傍に居れば安泰だなんて誰が決めたことだろうか?
いまや、男性こそが女性のヒモになりたい時代なんですよ。(あわよくば。顔も身体も好みなら問題ない。)
女性の方が我慢強く平均寿命が長いから、看取ることまで考えずに済む、とにかく生きてる間は安泰で居たい(自分が)と願う男性は少なくない。
うちの父親ですら全てを放棄する発言をし、
家庭の大黒柱の責任からいち早く逃げ、
家族からも血縁からも目を背け自分の事だけの幸福を選んだ。
結果はお粗末なものだし、結局苦労したのは母親と子供(うち、私と次男のみ)だ。
薄情でも、暴力で捩じ伏せる腕も、
隠せば誰とでも出会える。
最初だけが肝心で、データは確実に盛っているし、何なら顔も盛っているだろう。
恐らくはそんなことは、互いにお見通しなのだ。
分かっていて厳選したつもりでいる。
自分は間違わないと過信した挙げ句、
少しばかり付き合えば、早速不安の種である金銭の話が出てくる。
都合するしない、
贈り物するしない、
素敵な食事やデザートや花、スイーツは初期の必要経費だ。
要は一生離れない、出来れば家事も出来て経済的に困らない未来を早々獲得したい。
そこには、
互いの気持ちを育もうとする思いはない。
あるのは、承認欲求と困らない将来。
出来れば家事もお金も稼いでくれる奴隷であり、そこに愛情など最初から生まれない。
育む期間が人により様様にあるのは、私も理解しているが、
ニュースの事件は凄惨な末路だった。
誰だって、マッチングで知り合った相手が暴力を突然振るうとは考えない。
まず、そこから危機管理が欠片もない。
何を信用して、マッチングに成功し「もう。これで大丈夫」と言う保証を得られるのか。
少なくともマッチング会社が、それを、保証などはしてくれないだろう。
可哀想に、頭に四針も縫うんじゃ、
これからのマッチングに傷が付いたようなものだろうし、諦めてくれるならそれに越したことはないけど(とは言え、相手にお金を借りてる時点で、早く返す段取りや警戒心は持つ必要はあったと思う)
暇だとやっちゃうんだろうな。
男女問わず、「お財布探し」と言うものだ。
依存度合いが高いのと、将来が不安で仕方がないのはよく分かる。
だからこそ、安易に登録して出会えるやり方には「永続き」を求めたい。
何故か肉体だけは早いのは、私には保険に思える。
出会ったなら、長く付き合い深い愛情を築いて欲しい。
お金など次のまた次に近いからだ。
なのに身体とお金が先行するのは、援助交際の延長版(高齢者形)だろうと思うと
やはり私にはマッチングは一生無理だと再度ニュースを見ながら確信した。
暴力を働くのは男女誰でも許されない。
それなのに安易にそれに手を出す気持ちは、私には一生分からなくて良い。
繰り返すが、マッチングに成功した事例が確実にあるから需要がある世界だ。
出会いも簡単じゃないし、お先真っ暗な日本の未来を嘆くなら安定した収入の相手がいた方が良いに決まっている。
だが、それは依存して良いものではない。
相手が働くなら自らも働く。
高収入な相手と出逢いたいなら、やはり自分も働いていた方が良いに決まっている。
依存された方はたまらないからだ。
よほど、綺麗で職歴も美しいなら「顔」の点で選びマッチングする事もあると思うが。
それは、お雛様を作ってるんだよね、私は個人的に嬉しくはない(笑)
安いと言うか、軽いんですよ。
妥協して誰かを選ぶのも失礼な話だし、
何回会話して食事してデートしたら、それは恋人なんでしょうか。
少なくとも私の中では、それは知り合いの域を出ない。
「最初は優しかったのに」と、被害女性が言う。
人は隠すし化けるのだ。
女のメイクや服と何ら変わりがない。
優しいのなんか当たり前じゃないですか、
本性や手の内や秘密を話すのに実は何れくらいの時間か掛かると思っていますか?
1ヶ月や半年はお試しですよ。
私には10年掛かった。
人の三倍時間が掛かるからね(笑)
ならば人が三年掛けていたって不思議じゃない。
子供を早くにもうけたいなら別だが、今回の事件の二人は60代。
子供を願えるのは簡単じゃない。
似た者同士だったのだろう。
被害者は哀れだが、勉強したと思うしかない。
それにしても、少子化と子供に対する厚遇の域が広がりすぎて、間違った連鎖が起きそうだ。
厚遇されれば、かわいい我が子をとにかく手厚く可愛がる方法や選択が増えるだけで(大学行かせるの当たり前とかね)、
特にそれが「もう一人産もう」政策にはなってはいないだろう。
基本的に若者は子供一人からせいぜい二人を溺愛したいのだ。
それ以上は手は回らないし、
苦労するような真似は最初からしない。
危険な橋を絶対渡らないし、子供の幸福と同時に己に対する欲もプラスして計算している。(うちの三男)
子供を増やしたいと願うのは、何をさておいても子供が好きな夫婦だ。
計画性とか将来とか、
選択は子供に任せるし、それ次第で頑張る大人なのだ。
自らの「子供は苦労させない」計画が大事なんじゃない。
将来含めての全てを、子供に選ばせる自由を選んだ人達だ。
苦労なんてしてなんぼだ。
体験しなきゃ感情が湧かないのは最近の子供の特徴だ。
畑で野菜をとる、イチゴを摘む、魚を釣りに行く
多彩な経験は子供の情緒を豊かにするが、根本的な物がない。
全て用意されているものだ。
どんなに物がなくても適当な物を使って完成させる、汚い砂場で遊ばせたい。
とは、酵素ご飯カフェのオーナーが言った言葉だが
何を与えなくても創意工夫してほっといても考えるのが頭の柔らかい子供だ。
そんな子供になら、幾らでも将来が幸せであって欲しいと願う。
少なくとも、スマホやタブレットを持たせない、公園には一切行かない(安全遊具が多いのと、ママ友付き合いを必要だと思っていない※親友アールが実はこれだ。)カフェのオーナーのお子さんは、
マッチングアプリは入れないだろうな多分。と思った。
20年は先だけど、自然に惹かれた人に出逢う未来しか見えないわ(笑)
あー、酵素ご飯食べに行きたくなっちゃった!(笑)