39~68~46kg その間に

欝までの、欝からの「自分を愛せ」るか。

自分にやれることを出来ているか。

昨晩だったかのニュースで、ホテルや旅館のカスハラ被害についての話題がありましたが

(カスハラ=カスタマーハラスメント。

サービスや接客に難癖をつける客からの被害)

実際自分も接客業なので、何時なんどきにカスハラを受けるかとヒヤヒヤしながら日々接客に取り組んでいます。

受け流せたり場の雰囲気だと受け入れて下さるお客様の多い中で、

やはり「である。であるべき。」と言う口癖は多くは五十代から六十代世代にこそ多いと感じます。(私も~であるべき、は良く思うけど、今はその時代じゃないんだよね、とはセーブしてこそいるものの)

このニュースのコメンテーターが

「この手の客は大概は、退職前は大層な役職に就いており、(だからと言って実力もあるとは限らない)

退職した途端に役職を失い肩書きを失うと、その憂さを権威奮いたさに、サービス業に文句をつけやすい」とありましたが、

これ本当にそうなんですよ。

実際退職してるような、おじさんやおばさんの横柄さは「自分達はお客様様」と言わんばかりなのですが、

食べ方も飲み方も品がなく、偉そうにはしますが会話の内容は過去の栄光で、中身はスカスカです。 

その上、過去の部下とか会社同僚とは来てないんだな。

尊敬はされてなかったからこそ、

今現在はお金で尊厳を買っている姿は、カスハラそのものでしょう。

 

 

先日、とある企業の社長さんのお誕生日と言う席があり、

 

中身は大層しっかり短い時間で纏まり、しかもさんざんに皆さん高いお酒飲んでくれて、社長さん宛のプレゼントは大量に店に届いたりで驚きました。

重役や室長はクラッカーやケーキも影で用意して、一時間前には下見を兼ねて来ると言う周到さでした。

そこには、明らかに社長を喜ばせたい、笑わせたいと言う気持ちがあり、楽しそうな彼女らから顕著に伝わってきました。

そこには遊び心があり、その企業の社長の人となりが理解できる気がしました。

何故なら皆が笑って用意してるから。

嫌々な空気や妙なプレッシャーとか緊張感とは全然違うんですよ。

恙無く忙しく時間は過ぎて

※ちなみに社長には別メニューだったが、

社長は「俺だけ仲間はずれみたいだよ〰️寂しいよ〰️(笑)」とか、

言ってましたが(笑)

何より最後の締めです。

「社長がいなければ僕らは仕事に専念出来ずこの場には居ることさえありません。

僕らが働けるのは雇って下さり働く場所と居場所を与えてくださり、立ち回らせて下さる社長が居てこそなのです。

どうかこれからもお元気で、健やかで、

そして僕らは必ず全力で社長を傍らでお支えするつもりです。」

その言葉を聞いて、

実にいい誕生日だったろうなあと、(実際社長も「なんだよー俺泣いちゃうよ(笑)とか言ってた(笑)」)

少し涙ぐんでしまいました。

そうだよね、誰かが面接して雇ってくれなきゃ、まず働けない、

活躍するように手回しがなくては働く場所に遣り甲斐は感じない。

適材適所を見抜いてあらゆる役職で働かせてくれるから、この人たちは本当に社長に感謝し、恵まれ、

全力で支えたいと心から思っているのだ。

こう言うのは、凄く染みるなあ。

どうせ社長であるなら、愛されたいよね。

役職だけ傘を被って人を見抜かず自分だけを愛していれば、いずれは愛されなくなる、どころか嫌われる。

残るのは肩書きのみ。

その肩書きにすがってるから、精々威張れるのはサービス業か、尽くしてる奥さんや使用人程度だ。

しかしその肩書きすら持たない、「大枚はたいたから私たちは神様です」が、

三年コロナを我慢してきてストレス爆発なんてさせるから

サービスだけは大量に寄越せ!の

カスハラの何と多いことか。(泣)

これから先、

そんな「お客様体質」が増えるのを予測されたから、不測の事態に備え

法が改正されるのだろう。

私たちにとっては大変有り難いことです。

ニュースのコメンテーターや画面にもありましたが、

最早現代は「お客様は神様です」ではなく「お客様はお客様」に過ぎないのであり、

上座の偉い人ではなく、顧客なのです。

浸透するのにどれ程時間が掛かることかと思います。

何せ、SNSTwitterなどが有れば、間違った情報は幾らでも流せますからね。

私もこれにはびくびくしますが、今はそれらを見る気持ちにはなりません。 

曖昧すぎますから。

それに、星なんてつける人もいますが、多くの人はつけないからです。

余程心に残るような善い思いをしたなら、絶対にコメント記したりはするとは思いますが、

それはあくまで自分のその時に感じた感謝や感動の気持ちであり、特に何も感じなければそのままですよ。

どんなにより良いサービスがあろうとも、何かの琴線に引っ掛からなきゃ、素通りしますよ。

全ての接客、サービスに対して書き込みが出来るほど毎々暇もなければ、

わざわざその時の何かを逐一一生懸命思い出す必要も無い。

そうしたいと思うなら自然に人は動きます。

それはサービス業に対する評価も同じで、

わざわざ絶対にやらなきゃいけないものでもない。

心からやりたい人はやるし、絶対にやる必要は無いんですよ。(中にはポイント欲しさに評価を書く人もいますが)

けれど「ああ、大変に善い思いをした」と心から思えたら、いの一番に感謝のコメントを綴るでしょう。(それ以前にホテルや料亭など直接感謝の電話なりかけます。

書き込み以外にも伝える方法なんて幾らでもある、何なら直接手紙とかならホテルや旅館は最大限に喜びますね)

絶対に強制されなくてもです。

その「善い思い」を、

寄越せ、金を払うから。

と言うのは実に傲慢で、お帰りいただきたいお客様であり、

単純にモンスタークレーマーです。

 

お断りできる法が出来ても、なかなかお断りできるのは稀でしょうけども。

そんな悲しい孤独なお客様をお相手するのもまた仕事ですけども!(笑)(そこまでモンスタークレーマーが居ないのは救いですが)

↑はい、口直し!

来年のスケジュール手帳。

ちいかわー!オレンジ可愛いし、使いやすそうだからこれにしたいと思います(笑)

仕事始めたから、書き込み項目が増えたんですよ。

今までは100円SHOPで充分でしたが、今は足りないかなあ。

 

では、話は変わりまして、

私は臓器提供意思表示カードを30才あたりから記入し、常に財布に入れています。

母は矢鱈と、体を切り刻むなんて!と言いますが、

死んだ私の体を、人のために使うのの何が悪いと言うのですかね?

寧ろもう私は使えないけれど、人はそれが有れば助かるなら、あげますよ。

使えるものは何でも使ってほしい。

私の脳味噌や

自律神経とかは役に立たないかもしれない。

でも、肺も目も角膜も心臓も、今現在もドナーに出来るなら脊髄も使えばいいんです。(但し、私は血縁には体の一部から血の一滴も提供はしません。

まあ、私は薬を使ってますから、血は誰にも提供出来ないのですが)

提供を待ってる人は確実に世の中にいて、

私の臓器は使えるかもしれないのに、

身体を切り刻むのが嫌と言う方が、私には分かりませんよ。

 

死体の綺麗さなんか死んだ私には関わりはないんですし、関心もありませんよ。

特に葬式もやるつもりは無いですし、遺体に会いたいならそれは別に会わなくて構わないから、遺影にでも手を合わせてくれたらいいし。(つか、死んだ後に会いに来るなら、死ぬ前に会いに来てくださいよ)

 

大体、私の死体を看取るのは少なくとも母親では無いです。

交通事故などで不慮な死に方をしない限りは、

パートナーが看取るか、私一人か、施設で一人かの何れかなら、私の血縁に私の意思は一切関係ありません。

私の死に方(遺体)を血縁の理屈で勝手にされる方が迷惑です。

もし、私のパートナーなら、私がそうして欲しいと願えばそうしてくれるでしょう。

 

私とパートナーは死後の話も決めています。

死後を美しく彩るよりも、どう生きるか、満たされて生涯を全うできるかです。

 

私が、今回の社長さんへの言葉に、涙ぐんだのは、皆から愛されていることをとても素晴らしいと思えたからにほかなりません。

私は全ての人には愛されないけれど、大切な人から愛されたなら、親友と死ぬまで交流が出来たなら充分です。

なんだか人様からは「変わり者」レッテル貼られてる自覚はありますが、今更ですね。

幸せの定義なんて、人それぞれで、私の定義や結婚の価値観は人には理解できないだけですが、

それもまた私にはどうでもいいことなんです(笑)

 

でも、ずっとずっと小さい頃は、きっと誰とも仲良くしたかった筈だと思い返します。

だから、こうしてたくさんの人に慕われている人を見ると、良いなあ、と思ってしまうんでしょうね。

生きてて何かしてなんぼの人生。

生きてなきゃ出来ないことは山ほどあり、私はまだその過程に居るのです。